猩々

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しょうじょう


画題

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解説

画題辞典

猩々に謡曲の一なり、唐土かね金山の麓に、かうふうと呼ぶ民の、親に仕へて孝行なりしが、或る夜の夢に酒賣ることを教へられて、市に出でて酒を賣る、之に猩々なるもの来りて飲み、数次盃を重ねても面色変らず、目出たく戯れ舞ふことを叙せり、能にありてはその舞に乱れという習事あり、江戸時代には十二月の納能祝言にこの舞を行ふを以て吉例となす。赤頭に杓を肩にせる能狂言の猩々の姿は随って一般的となりて、図せらるゝ所甚だ多し。

東京帝室博物館に鈴木英一の筆にあり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

(一)謡曲の名、かうふうと云ふ酒売る男の孝行なのを愛して猩々が来り、尽きせぬ酒泉を与へ、目出度く酔ひ戯れ興ずるといふ作、この舞に乱れといふ習事があり、十二月の納能に用ゐる嘉例となつてゐた、全文左の如し。

是は唐土かね金山の麓、揚子の里にかうふうと申す民にて候ふ、扨も我親に孝あるにより或夜不思議の夢を見る、揚子の市に出でて酒を売るならば、富貴の身となるべしと、教のまゝになす業の、時去り時来りけるにや、次第次第に富貴の身となりて候ふ、又ここに不思議なる事の候ふ、市毎に来り酒を飲む者の候ふが、盃は重なれども、面色は更に変はらず候ふ程に、余りに不審に存じ、名を尋ねて候へば、海中に住む猩々とかや申し候ふ程に、今日は潯陽の江に出でゝ、彼猩々を待たばやと存じ候ふ、「潯陽の江の辺にて、菊をたゝへて夜もすがら、月の前にも友待つや、又傾くる盃の、影をたゝへて待ち居たり。「老いせぬや、薬の名をも菊の水、盃も浮かび出でゝ、友に逢ふぞうれしき、此友に逢ふぞうれしき、「御酒と聞く、御酒と聞く、名も理や秋風の、「吹けども/\「さらに身には寒からじ「理や白菊の「理や白菊の、着せ綿を温めて、酒をいざや汲まうよ、「客人も御覧ずらん、「月星は隈もなし、「所は潯陽の、「江の内の酒盛、「猩々舞をまはうよ。「芦の葉の笛を吹き、波の鼓どうと打ち、「声澄み渡る浦風の、「秋のしらべや残るらん、「有り難や御身心すなほなるにより、此壷に泉をたゝへ、唯今かへし与ふるなり、よもつきじ、「よもつきじ万代までの竹の葉の酒、汲めども尽きず、飲めども変らぬ、秋の夜の盃、影も傾く入江に枯れ立つ、足もとはよろ/\と、酔ひに臥したる枕の夢の、覚むると思へば泉は其まま、尽きせぬ宿こそめてたけれ。

猩々を画ける作

土佐光起筆       松沢家旧蔵

鈴木其一筆       帝室博物館蔵

小堀鞆音筆       須賀惣吉氏蔵

橋本永邦筆  『乱』  日本美術院展出品

(二)能面の名、のうめん能面の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


『猩々』一番に用ふ、酒気は紅く瞼に頬に酔葷を示し和平怡楽の象徴として仙童の貌をなす。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)