源義家

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みなもとのよしいえ


画題

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解説

画題辞典

「はちまんたらうよしいへ」(八幡太郎義家)を見よ。

(『画題辞典』斎藤隆三)

前賢故実

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(『前賢故実』)

東洋画題綜覧

世に八幡太郎といふ、幼名源太、頼義の長子にして、母は平直方の女、八幡社前で加冠したので八幡太郎と呼ばれる、永承年中父頼義に従つて陸奥に阿部貞任宗任と戦ひ、康平五年衣川に貞任を破り従五位下に叙せられ出羽守となる、永保三年陸奥守となり鎮守府将軍を兼ぬ、時に清原真衡、同族家衡、武衡と戦ふ、義家真衡を援けて家衡武衡を討つ、前者を世に前九年の役と呼び、後者を後三年の役といふ、後ち左近将監、検非違使、左衛門尉、左馬権頭、河内、相模、武蔵、信濃、下野、伊予の守に歴任し正四位下に叙せられ嘉承元年剃髪、天仁元年卒す、年六十八、和歌をよくし、逸話として伝へらるもの多く、その長寿と順調なる出世が武将中稀なるものとして、武人の尊崇を受く、

その両度の役を画いたものに、『前九年合戦絵詞』―鎌倉時代、筆者静賢法印か、原本不伝―『後三年合戦絵詞』―鎌倉時代、伝惟久筆池田侯爵家蔵―があり、逸話は『古今著聞集』其他に之を載す。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)