深草の元政

提供: ArtWiki
2021年12月7日 (火) 19:03時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

ふかくさのげんせい


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

高僧、姓は菅原、俗称石井吉兵衛、名は日政、日峰、妙子と号す、京都の人、幼にして穎悟、十三にして井伊侯に仕へ、十九の時母に従つて泉州堺に到り、日蓮像を拝して初めて出家の志を立てたが果さず、廿五歳の時、井伊直孝に従つて江戸に来り、一日吉原に遊び三浦屋の二代目高尾と逢つて情意投合、二世を契つたが、高尾故あつて自殺したので、無常を感じ翌年病と称して仕を辞し妙顕寺日豊上人に仕へ剃髪した、人となり博覧強記精力絶倫、身を持するこど謹厳、国学に通じ和歌をよくし、平常深草の瑞光寺にあつたので、世に深草の元政と呼ぶ、元政、帰化人陳元贇と心機冥契、また熊沢蕃山とも交深かつた、寛永八年二月十八日入寂、年四十六、著はす所扶桑隠逸伝、草小止観抄、衣裏宝鈔、如来秘蔵録其の他頗る多い。

元政の陳元贇と閑談する処を描いたものに、小川千甕筆『元元唱歌』(第一回南宗展出品)がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)