江口の尼

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えぐちのあま


画題

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解説

東洋画題綜覧

同じく(江口の君)撰集抄中の物語で、ある聖を伴つて江口の里に遊び、こゝに尼に出あひ、此の尼の連歌に勘能なのに驚くといふ物語である。

治承二年長月のころ、或聖とともなひて、西国へおもむきしに、さしていづくとしもなきまゝに、日のかたぶくにもいそがずして江口桂本など云ふ遊女がすみ家見めぐれば家は南北の岸にさしはさみて、心は旅人のしばしの情を思ふ様に、さもはかなきわざにて、さてもむなしく此の世をさりて、来世はいかならん、是れも前世の遊女にて有るべき宿業の侍りけるやらん、露の身のしばしの程をわたらんとて、仏の大にいましめ給へる態をするかな、我が身一の罪は、せめていかゞせん多くの人をさへ引き損ぜん事、いとゞうたてかるべきには侍らずや、しかあれども、彼の遊女の中に多く往生をとげ浦人の物の命を断つものゝ中にあつて、終にいみじき侍かば、さればいかなる事ぞや、前世の戒行によるべくは、なにとてか今生に、かゝるうたてき振舞をすべきや又此の世のつとめによるべくば、あにかれら往生をとげんや、是れを以て閑に思ふに只心によるべきにや、露の命をつがんとての謀事に侍れば、心にもあらず、是れに交り彼れにともなへども是に心を移さず、彼れに心をしめて常に後の世の事を思はん人はロに悪しき言葉をはき、手にわろき振舞侍れども心うるはしく侍らんには、さうなりけるにや侍らん、或聖と打ち語りて、其の里を過ぎなんとするに、冬を待ちえず、むら時雨のはげしくて、人の門に立ちやすらひて、内を見入侍るに、あるじの尼の時雨のもりけるをわびて、板を一ひらさげて、あちこち走りありきしかば、何となくかく、しづがふせやをふきぞわづらふ、とうちすさみたるに、此の尼さばかり物さわがしく走りあわつるが、何とてか聞きけん、板をなげすてゝ月はもり、雨はたまれとおもふには、と付け侍りき、さも優に覚えて見過しがたかりしかば、彼の庵に一夜とまりて連歌などし侍りてあかつきがたに、此のつれたる僧かく心すまれね柴のいほかなと付け侍りたるに、あるじ又、都のみおもふかたとはいそがれて、と付け侍りし事の、げに胸をこがして覚え侍りき、六十余州さそらヘて、多くの人々見なれしかども、是れ程のものかくまで、なさけはへたる物は侍らざりき、哀れをのこにしあらば、とかくこしらへて、いざなひつれて、うへをなぐさむる友にもしてなん、いとゞなつかしくぞ侍りし、此のつれの聖は立ち出づる道すがらも、さも恋しき江ロの尼かなとぞ申し侍りし。  (撰集抄)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)