小倉山

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おぐらやま


画題

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解説

画題辞典

小倉山は洛北嵯峨二尊山の上にあり、大井川の東なり。藤原定家卿の山荘の在りし所として其名高し、山荘は二尊院の北方愛宕山道の傍にありしなり、その庵を厭離庵一名時雨亭と称す。定家深遠の学芸と非几の歌オを蔵して此山荘に在り、流麗精微の詠を示し、又天智天皇已来百人の名歌を選びて人に与ふ。小倉百人一首として最も世に知らる。

奥村政信に小倉山荘の図あり、明治に至り国画玉成会の出品に下村観山の小倉山屏風あり。名品と称さる。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

小倉山は洛北嵯峨二尊山の上で、大堰川の東にあり,山荘は藤原定家卿が、『百人一首』を撰んだ所として聞えてゐる。

京極黄門定家卿の山荘、あるひは時雨亭と号る旧跡ところ/゙\にあり、かの卿の詠歌により、又は少しき因になづみて後人これを作ると見えたり

続拾遺 いつはりのなき世なりせば神無月誰がまことより時雨そめけん

此歌を種として謡曲を作したり、時雨亭も是より出でたり、実あるにあらず、小倉山荘といふは清涼寺西の門より二尊院までの道、二十ばかりの民家ある所を中院町といふ。此半を北へ入る細道あり竹林の後のかたに門ありて東に向ふ、これを厭離庵といふ、門の内に柳の水といふ清泉あり、草庵の跡は西の高き所と見えたり。  (都名所図会)

小倉山の図の画かれた作左の通り。

奥村政信筆  『小倉山荘』  東京帝室博物館所蔵

下村観山筆          国画玉成会出品

吉田秋光筆          第三回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)