富士巻狩

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ふじのまきがり


画題

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解説

東洋画題綜覧

建久四年五月、源頼朝富士山麓で催した狩猟、これに仁田四郎忠常(一に忠綱)が大猪を仕留めたこと『曽我物語』や近松の『曽我虎が磨』などに描かれてゐる。

爰に伊豆の住人仁田四郎忠綱、未だ鹿に逢ずして落くる鹿を相待つところに、幾年歴るとも知らざる猪のししがふしくさかく十六つきたるが主を知らぬ鹿矢ども四つ五つ立つたりしが、大きに猛つて駆け廻はる、譬へば楊由が術許□□が神変も及ぶべしとは見へざりけり、近着者を猛れば落合ふ者も無くして徒らに中を明けてぞ通りける、忠綱是を幸と馳せ寄せけり、御前近ふなりければ好しや仁田、好しや忠綱とぞ仰下されける、人もこそ多き中に箇様の御諚蒙ること、生前の面目何事か是に如かんと存る間、鉄銅を団めたる猪なりとも余さじ者をと思ひければ、大の鹿矢を抜出し、唯一矢にて彎て放つ所に、失よりも先に飛び来り騎りたる馬を主共に空にすくふて投揚げ、落ちばかけんと為る所に協はじとや思ひけん、弓も手綱も打捨て向様にぞ乗移る、されども逆さまにこそ乗たりけれ、猪は乗られて腹を立て馬を彼しこへかけ倒し、雲と霞に分け入て虚空を飛んで廻りしは、周の穆王釈尊の教法を聞かんとて八匹の駒に鞭を挙げ、万里の道せつなに飛びつきしも、是にはいかで勝るべき、仁田は習し手綱のやう腰に切れよと挟みつけ、尾筒を手綱に取、らくこんに伝へし三かしら、王艮が秘せし手綱是なりけりと、こらへけれども為ん方なくぞ見へたりける、猪は弥々猛りをかき、木の葉茅の下巌岩石を嫌はずして空に飛び廻りしかば、烏帽子竹笠行膝一度にきれて落にけり、大童に成て唯落じとばかりこらへける、大きに猛き猪のししも余多手は負ぬ仁田が威にや押されけん、御前近き枯杭に蹶きよわる所にあやまたず、腰の刀を抜き胴中に突立て肋骨二三枚かき切りければ、猪は四足を四五寸土に踏入て立すくみにこそ成にけれ、仁田は急ぎ飛下りて数の留めを刺す、上下の狩人是を見て前代未聞の振舞哉、面白くも止めたり乗りも乗りたりこらへもこらへたりと感ぜぬ人こそ無かりけれ  (曽我物語)

富士の巻狩を画いた作

筆者不明   『富士巻狩屏風』  大阪菅沼正俊氏蔵

同 無款   『同』  六曲一双 群馬下山観三郎氏蔵

高久隆古筆            所蔵者不明

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)