女達磨

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おんなだるま


画題

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解説

画題辞典

達磨の面壁九年に対し遊女の苦界九年を洒落れて、書き慣らされたる逹磨を美人に代えて描きしものにして、英一蝶に創まるという。祗空が句に「何九年苦界十年花衣」とあるに出でしものなりともいう。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

達磨面壁九年を女の苦海九年に洒落れたものといふ。愛閑楼雑記にいふ、新吉原中近江屋の抱に半太夫といふ遊女ありしが、後に大伝馬町の商人へ縁付たり、其家に人々あつまり何くれと物語の序に、達磨の九年面壁の噺になりしが半太夫聞て九年面壁の座禅は何程の事かあらん、浮れ女の身の上は紋日もの日の心づかひに昼夜見世を張る事、面壁に替る事なし、達磨は九年われ/\は十年なれば、達磨よりも遥に悟道なるべしとわらひける、此はなしを英一蝶聞て、頓て半身の達磨を傾城に画きたるが、世上にはやりて、扇子、団扇、莨入、柱隠などに画て女達磨と言けるとかや、故に女達磨は一蝶より始るといふ、市川柏莚が其画の讃に

そもさん歟是みなさんは誰

九年母も粋より出し甘みかな

俳人谷素外が手引草に

九年何苦界拾ねん花ころも   祇空

愛閑楼とは予知れる医師星野周庵が別号なり。  (宮川舎漫筆)

鏝絵師伊豆長八好んで女達磨を製作し数点遺つてゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)