大嘗会

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だいじょうえ


画題

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解説

画題辞典

大嘗会は又大嘗祭ともいう、天皇即位の後、始めて新穀を以て天照大神及天神地祇を奉祭し玉ふ儀式をいう、一世一度の新嘗なるが故に、大新嘗ともいひ、即位後必ず行ふ祭なるを以て践祚大嘗祭ともいう、豫め悠基国、主基国を設定し、其の二国の新稲を用いて神饌神酒となす、当日天皇沐浴祭服して先づ悠紀正殿に御し、吉野の国栖古風を奏し隼人風俗の歌舞を奏する間に、神饌神酒を神祇に供す、次に、更に祭服を改め、主基の正殿に御す、国栖以下の奏及薦享の式総べて悠紀に同じ、儀式皆夜を以て奉じ、悠紀殿、主基殿及廻立殿、古例により黒木を以て建てらる、荘厳神聖を極めたる大式礼なり、屏風等に画かるゝもの少なからず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

天皇即位の後始めて新穀を以て天照大神及び天神地祇を奉祭し給ふ御儀、一世一度の新嘗なので大新嘗とも云ひ即位後必ず行ひ給ふので践祚大嘗祭ともいふ、古言には『おほにへのまつり』と称へた。大嘗祭には悠紀、主基の国あり、此の二国の稲を用ひて神饌となす、此の大嘗会は大嘗宮に於て行はせられる。大嘗宮はその正殿で、祭に先つこと七日始めて工を起し五日にして造り畢る、東西廿一丈南北十五丈、之を中分して東を悠紀殿とし西を主基殿とする、外は囲らすに柴垣を以てし、内に屏籬を以て隔て東西南北に各小門を設け別に廻立殿(天皇沐浴斎服著御の所)膳屋(神饌調進の所)あり、当日天皇廻立殿に行幸、御沐浴斎服著御の上悠紀の正殿に御す、やがて吉野の国栖古風を奏し、悠紀の国司歌人を率ゐて国風を奏し、隼人司は隼人を率ゐて風俗の歌舞を奏し、次に天皇親ら神饌清酒を神祇に供し、亦御親ら召させ給ふ。次に廻立殿に還御、更に沐浴斎服を改め主基の正殿に御し国栖以下の奏及び薦享の式悠紀に同じである。此の御儀はすべて夜を以て行はせられ神聖を極めた大式礼で、昔は新嘗祭と同じであつたが、天武天皇の二年十一月、初めて即位の大嘗あり、これより大嘗新嘗の区別明かになつた。  (古事類苑、国史大辞典)

大嘗会は古来屏風等に画かるもの多いが近く、明治天皇御聖徳絵画館に前田青邨の作があり富岡鉄斎にもその作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)