夕顔

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ゆうがお


画題

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解説

画題辞典

一 源氏物語の一節なり、光源氏の君の六條の御息所のほとりに通はれける時、五條の邊りに夕顔の花の美しく咲ける家あり、源氏御覧ありて何の花ぞと問はせ玉ひしに、その家の女白き扇にのせ之を捧げたり、その時源氏よりてこそそれかとも見めたそがれにほの/"\みつる花のゆふがほと詠ませられたり、是より夕顔の女のもとへしげ/\通はれけるに、八月十五夜月見にとて何某の院へ行き、その夜泊り玉ひしに、その翌十五日といふに、夕顔の女俄に病みて死したり、源氏歎きて、めのと惟光に申つけ、清水の邊にその死體をとりおき。間遣の右近といふに托してよきに葬りたりとなり、之を夕顔の巻の趣向となす、源氏絵の内に一節として画かるゝあるはいふまでもなく、特にこの條を図せるもの、

住吉廣守筆(東京帝室博物館所蔵)

板谷廣長筆(同)

清原雪信筆(清野長太郎氏所蔵)

浮田一蕙筆(奈良中村雅真氏所蔵)

二 謡曲にして源氏物の一なり、源氏物語夕顔の巻より採れり、豊後国の旅僧京五條わたりを訪ひけるに、夕顔の霊里女となりて現はれ、源氏との往事を語り、僧の讀誦によりて喜び成佛することを記せり、處は京都、季は九月なり。三蔓草に夕顔あり、花白く夕に開きて朝は萎む、實は円く長くしてに瓢に似たり、棚を吊りて繁茂せしむ、夕顔棚の下の夕涼み風情多くして屢々画材となる、

名高きものに久隅守景が図あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

(一)夕顔は葫芦科に属する蔓生植物で、一年草である。葉は心臓形をし長い葉柄を有し花は雪白の五弁で、夏の夕方から咲き出す、蔓は長く伸び末は巻鬚となつて物に絡はる。大抵葡萄のやうに高く棚を拵へて絡ませるもので、夏の夜、其の葉の間から白い花が星のやうに見え、夕ベの風に万朶の葉の戦ぐ風情は又とない清涼な感じを懐かせる、所謂『夕顔棚の下涼』を夏の行楽に数へるにも肯かれる。『枕草子』に曰く

夕顔の朝顔に似て言ひつゞけたるもをかしかりぬべき花の姿にて、にくき実のありさまこそ、いとくちをしけれ、などてさはた生ひいでけん、ぬかつきなどいふものゝやうにだにあれかし、されどなほ夕顔といふ名ばかりはをかし。

と此の花の情趣をよく伝へてゐる、

絵画には左の名品がある。

宗達筆  『夕顔』扇面    説田鶴翁氏旧蔵

乾山筆  『夕顔』横物    大沢百花潭氏旧蔵

一蝶筆  『朝顔夕顔』双幅  有賀長文氏旧蔵      

(二)『源氏物語』五十四帖の第四、源氏十七歳頃のこと、源氏が六条の御息所の許へ通ふ途すがら五条のあたりで、夕顔の花のたへに咲き出てたのを見て、これは何の花ぞと問うと、その家の女、白い扇の上に花をのせて捧げた。源氏はその扇に

よりてこそそれかとも見めたそがれにほのほのみつる花の夕顔

と詠じて送つた。それから物しげく此の女の許へ通つたが、八月十五夜の宵、月見にと夕顔の宿に近いなにがしの院にゆき、その夜を明したが、翌日夕顔は俄かに病の為めに世を去る、巻の名は、此の歌から来てゐる。夕顔の風情を叙したのは、巻のはじめの一節である。

此の家の傍に、桧垣といふもの新しうして、上は半蔀四五間ばかりあげ渡して、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つきの透影数多見えてのぞく、立ちさまよふらん下つかた思ひやるに、あながちに長高き心地ぞする、いかなる者の集へるならんと、やう、かはりておぼさるゝ御車もいたうやつし給へり、前駆もおはせ給はず、誰とか知らんとうち解け給ひて少しさし覗き給へれば、門は蔀のやうなるを押しあけたる、見いれの程なく物はかなき住居をあはれに、いづこふかさしてとおもほしなせば、玉の台も同じことなり、きりかけだつものに、いと青やかなる葛の心地よげに蔓ひかゝれるに白き花ぞおのれひとりゑみの眉ひらけたる、をちかた人に物まうすとひとりごち給ふを、御随身つい居て、かの白くさけるをなん夕顔と申し侍る、花の名は人めきて、かうあやしき垣根になん咲き侍りけると申す

夕顔の巻は源氏絵として主要の巻なので大和絵の好画題であり、単独に画かれた場合も少くない。

住吉広守筆  東京帝室博物館

浮田一蕙筆  奈良中村氏蔵

杉谷広長筆  東京帝室博物館蔵

謡曲の『夕顔』は『源氏物』の一つで、これは型の如く、諸国一見の僧が豊後から都に上り里の女にあひ河原の院に、源氏夕顔の物語を聞く筋で、里の女は後シテで夕顔の幽霊となる、源氏との関係はそのまゝ美しい文章となつて現はれてゐる。

情の道も浅からず契り給ひし六条の「御息所に通ひ給ふ、よすがによりし中宿に唯やすらひの玉鉾の、「便りに立てし御車なり、「ものゝあやめも見ぬあたりの、小家がちなる軒のつまに、咲きかかりたる花の名も、えならず見えし夕顔の、とり過ごさじとあだ人の、心の色は白露の、情おきける言の葉の、末をあはれと尋ね見し、閨の扇の色異に、たがひに秋の契りとは、なさざりし東雲の、道の迷ひの言の葉も此世はかくばかり、はかなかりける蜉蝣〈ひをむし〉の命懸けたる程もなく、秋の日やすく暮れはてゝ宵の間過ぐる故郷の松のひゞきも恐ろしく、「風にまたゝく灯火の「消ゆと思ふ心地してあたりを見ればうば玉の、闇の現の人もなく、如何にせんとか思河、うたかた人は息消えて、帰らぬ水の泡とのみ、散りはてし夕顔の花は再び咲かめやと、夢に来りて申すとて有りつる女も、かき消すやうに失せにけり。      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)