南蛮寺

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なんばんじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

京都四条坊門に在つた天主教の寺、織田信長天主教徒に布教を許し、永禄十一年に京都四条坊門に地を与へ寺院を建設せしめた、切支丹宗門来朝実記の記事によれば、此時北山の大石を引出し、石垣を築き、金銀を惜まず、七堂伽藍を建立し、当時の年号を用ひ、寺を永禄寺と称せしめた、叡山の衆徒これを聞き、年号を寺号とするを非とし、山王七社の神輿を擁して下山し、訴状を朝廷に捧げたので、朝廷に於ても信長に諭し寺号を改めて南蛮寺とし、江州甲賀に五百貫の地を寄附せしめたといふ、其後十五年を経て豊臣秀吉天主教を禁ずるに及び南蛮寺も破壊されてしまつた、そして寺にあつた鐘は今妙心寺春光院に伝はる、高さ二尺余量目十八貫目、中央には十字と年号とが表はされてゐる。

南蛮寺を画題とした作

川口呉川筆  『南蛮寺の信長』  第九回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)