南泉禅師

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なんせんぜんじ


画題

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解説

画題辞典

池州南泉禅師、唐代の禅僧にして、名は普顧、鄭州新鄭の人也、姓は王氏、唐の至徳二年大隗山大慧禅師に依りて業を受く、三十にして嵩岳に参し戒を受く、初め相部の旧章を習うて毗尼篤を究め、次に諸講肆に遊びて拐伽華厳を歴聴す、中百門観に入て玄義を精練し、後に大寂の室を拓きて、頓然として筌を忘れて、遊戯三昧を得たり、貞元十一年錫を池陽に憩めて、自ら禅齎を構へ、南泉を下らざる三十餘載に及ぶ、大和八年十二月二十五日寂す、八十七、南泉斬猫の公案は禅家に於て最も有名なるものなり、その条を見るべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)