俊基朝臣下向

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としもとあそんげこう


画題

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解説

東洋画題綜覧

蔵人右少弁藤原俊基、土岐頼貞、多治見国長、日野資朝等と共に、無礼講を結び北条氏討滅の密議を凝らす中、事露はれて捕へられ、一旦は赦免となつたが、元弘元年再び捕はれて関東に下向し、やがて北条氏のために斬られたが、その関東下向の条は、『太平記』中の名文として有名である、一節を引く。

旅館の灯幽にして、鶏鳴暁を催せば、匹馬風に嘶へて天竜河を打ち渡り、小夜の中山越え行けば、白雲路を埋み来て、そことも知らぬ夕暮に、家郷の天を望みても、昔西行法師が命なりけりと詠じつゝ二度越えし跡までも、うらやましくぞ思はれける、隙行駒の足はやみ、已に亭午に昇れば、餉進らする程とて、輿を庭前に舁き止む、轅を叩きて警固の武士を近づけ、宿の名を問ひ給ふた、菊川と申すなりと答へければ、承久の合戦の時、院宣書きたりし咎に依りて、光親卿関東へ召し下されしが此宿にて誅せられし時、

昔南陽県菊水、汲下流而延齢、今東海道菊河、宿西岸而終命

と書きたりし遠き音の筆の跡、今は我身の上になり、あはれやいとゞまさりけん、一首の歌を詠みて、宿の柱にぞ書かれける、

いにしへもかゝるためしをきく川のおなじ流れにみをやしづめん  (太平記二)

これを画きしものに左の作がある。

松岡映丘筆  『池田の宿』  第三回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)