仏光国師

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ぶっこうこくし


画題

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解説

画題辞典

仏光国師は鎌倉円覚寺開山第一祖なり、名は祖元、字は子元、無學と號す、宋の明州慶元府の人、歳十三、抗州の北礀に従つて薙髪し、五年の後、徑山の無準に参す、後、石渓、偃渓、物初等の諸高徳を歴参して無礎の機用を得、弘安二年北条時宗の懇請によりて日本に來朝し、鎌倉建長寺に住し、次いで円覚寺を開く、同九年九月三日、六十一歳を以て示寂す、仏光禅師と勅諡せらる、禅師未だ支那に在る時、恰も蒙古の南侵に會し、一時その虜となり、将に頸はれられんとせしに、禅師従容として乾坤無地卓孤笻、喜得人空法亦空、珍重大元三尺劒、電光影裡斬春風、の偈を陳べしに、虜兵も手を下す能はざりしといふことは最も有名なる逸話なり、鎌倉円覚寺に禅師坐像あり、国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)