お妻八郎兵衛

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おつまはちろうべえ


画題

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解説

元禄頃に大坂であった古手屋八郎兵衛のお妻殺しの事件が実説と伝えられる。また、江戸で明和頃あった呉服屋八郎兵衛の両国の隠し売女銀猫のおつま殺しも取入れられたという。

さらに、明和1年(1764)年7月大坂坂町の女郎若野殺しを当て込んで、

明和2年(1765)8月大坂・中の芝居の歌舞伎「文月恨切子」(並木永輔他・作)が初演された。以降、

文化10年(1813)大坂・中の芝居「鐘もろとも夢鮫鞘」(奈河一洗・作)

文化10年(1813)江戸・中村座『文月恨鮫鞘』(初世福森久肋・作)

等と、内容を書き換えつつ上演があり、それに合わせて役者絵や芝居絵本に描かれた。

浄瑠璃では、

明和6年(1769)2月大坂・竹本座「裙重浪花八文字」(八民平七・作)

安永3年(1774)11月大坂・豊竹座「桜鍔恨鮫鞘」

と続く。

八郎兵衛が女房お妻の苦しい胸中を察せず、愛想づかしを怒って刀を抜き斬るお妻殺しの場面や、置手紙を読んで驚く場面が主として採られる。

(分類:戯曲)