「分福」

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総合

「分福」においては『甲子夜話』にその表記の理由が書かれている。

『池北偶談』に、僧の鶴に化して飛去しこと見ゆ。吾国にも上野の茂林寺にて貉の僧となりて、後に飛去りしことあり。始は僧にもせよ鶴の飛去るは有るべきが、貉の飛ぶは何なることや。この貉は人と化して名を守鶴と云ける。鶴と云ことに飛に縁なきにあらず。世に謂ふ分福茶釜と云ふは、この僧の嘗て所持の釜なり。縁記あり。こゝに附出す。今館林候の領邑なり。『池北偶談』に、僧の鶴に化して飛去しこと見ゆ。吾国にも上野の茂林寺にて貉の僧となりて、後に飛去りしことあり。始は僧にもせよ鶴の飛去るは有るべきが、貉の飛ぶは何なることや。この貉は人と化して名を守鶴と云ける。鶴と云ことに飛に縁なきにあらず。世に謂ふ分福茶釜と云ふは、この僧の嘗て所持の釜なり。縁記あり。こゝに附出す。(漢文は別紙参照) 往昔(おうせき又はおうじゃく)茂林寺に守鶴という老僧あり。応永年中、開山禅師にしたがって館林に来り、茂林寺十世月しん(山のしたに今)禅師まで随従す。此僧有徳碩学(せきがく)にて又能書なり。茂林寺七世月舟禅師の時会下の衆僧千人にこへ、法とう(はばへんに童)さかんなること他にたくらぶるなし。然るに茶釜小さくして茶行きわたらざるをなげきれば、守鶴いづくともしらず一ツの茶がまをもち来り茶をせんじけるに、昼夜くめどもつきることなし。人々ふしぎにおもひ其故を問。守鶴曰。これは分福茶釜とて何千人にてのむとも尽ることなし。殊に此釜八ツの功徳あり。中にも福を分ちあたゆるゆへ、分福茶釜といふ。壱度此釜にてせんじたる茶にて喉を潤す輩は、一生かはきのやまひを煩ふ事なく、第一文武の徳を備へ、物にたいしておそるゝことなく、智恵をまし諸人愛敬をそへ、開運出世し、寿命長久なるべし。此徳うたがふべからずとなり。それより年月をへ、十世しん(山のしたに今)月禅師に随しより当山にあること百弐拾余年になりぬ。然るに今化縁つきてしりぞき侍る。我誠は数千載をへたる貉なり。釈尊霊就山にて説法なし給ふ会上八万の大衆のかずにつらなり、それより唐土へわたり、又日本へ来りすむこと凡八百年。開山禅師の徳にかんじ、随従せしより、今に至るまで由来の高恩言語にのべがたし。今はなごりをおしまんため、源平八幡のたたかいを今あらはして見せ申さんと、一つの呪文をとなふるうちより、寺内たちまちまんまんたる海上となり、源氏は陸、平氏は船、両陳たがひにせめたたかふ有様、(りっしんべんに合)も寿永の陳中にあるがごとし。人々ふしぎと見るうちに、あとかたもなくきえうせぬ。又釈尊霊山会上説法のていを拝せ申さん。しかしかりの戯れごとなり、とふとしと思ひ給ふことなかれとて、又も呪文をとなふれば、庭上(きへんに小のしたに月)紫雲たな引、空に花ふり音楽きこえ、七宝のようらく、千しゆのせうごん、ありありと釈尊獅子の宝坐に説法あれば、あまたの御弟子羅漢たち、かふべをうなだれ聴聞のてい、今見ることのありがたさよと、皆一同にふしおがめば、守鶴今はこれまでなりと、正体あらはし貉となりて飛さりぬ。方丈はじめ一山の僧俗、みどり子の母にわかるゝごとく、なげきしたはぬはなし。其のち神に祭り、守鶴宮とて一山の鎮守となり、今にれいげんあらたなり。さて守鶴能書なりといへども、筆跡皆うせて直堂の札のみのこれり。今打碑して人にあたふ。是をかけおけば、悪魔をはらひよろづの災難をのぞく。信ずべし。又茶釜の茶にてねり丸する守鶴伝の妙薬あり。その功神のごとし。右にいふごとく守鶴むじなとなり、飛さるといへども、まことは是羅漢の化現なりといふ。実に左もあるべし。百有余年のうちの善功善行、子弟をおしへ、俗をみちびく。皆よのつねの人のよくおよぶところにあらず。とうとむべし、敬ふべし。