浮舟

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うきふね


画題

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解説

画題辞典

一。浮舟に源氏物語の一巻なリ。源氏の第二子薫中将浮舟といえる姫君を宇治に隠まい置かれしを、匂宮見出して宇治に忍び行き、薫中将の様にして右近と呼ぶ女房によりて内に入り契りを交わしたり、姫君も後に薫中将ならぬことを知りしもせんなく滞留二月に及び帰りしが、匂宮再び宇治に赴かせられ、小さき舟催うして浮舟の姫と二人之に乗りて橘の小島がさきに棹し、積る物語あり。匂の官「年経ともかはらしものを橘の 小島のさきにちきる心を」扨舟よりいたき下ろして宿りにて静かに物語りあり、硯引きよせて宮男と女の絵描き、諸共にかくあれかしと祈りけり、その後薫中将坐わして、遂に浮舟と宮との忍びこと顕われて、それより宿直きびしくせられしかば、また匂の宮とは会うこと叶わずなりぬ、遂に浮舟は夜陰にまぎれ出て、入水して終りぬるを一巻の趣向とす。源氏物語の絵に描かるゝは素よりなれども、特に此場面のみ描かれたるもの、

俵屋宗達の屏風(小林文七氏所蔵)あり。大正震災に亡ぶ。

二。謡曲にして源氏物の一なり。源氏物語に源氏の第二子薫中将浮舟を宇治に隠まい置きけるを、匂宮見出し遂に浮舟と密通せしに、浮舟先非を悔いて入水せんとして深夜家出し、物怪に誘われしを横川の僧徒に救われ、小野に連れ行かれて加持を受くるという記事あるに基きしものなり。旅僧宇治に着きけるに、浮舟の霊の里女となり現われ、生前の物語をなし小野の住家を教え、猶物怪に悩める故に回向を頼み、遂に仏力によりて成仏することを仕組んだものなり。処は山城小野及宇治、季は雑。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

源氏物語』宇治十帖の一、薫大将二十七歳浮舟廿六歳の正月から三月までのことを記した、薫大将は浮舟を宇治に隠まひ時折通つてゐたが、匂宮も浮舟に思ひをかけ、薫大将のふりをして右近といふ女房に手引きさせて姫と契りを結ぶ、浮舟はその薫でないことを知つたがせん術なかつた、匂の宮は再び訪れて来て、小さい舟を仕立て浮舟と共に乗つて橘の小島かさきに棹す、さて舟の内外、積る物語があつて陸に上り、硯引きよせ匂の宮は男女の姿を描いて恋心を見せる、併し此の事いつか薫大将の耳に入り二人の仲は割かれ、浮舟は入水するとて家出する。その匂宮と浮舟と小舟に乗る図がよく画かる。

有明の月すみのぼりて、水の面もくもりなきに、これなん橋の小島と申して御船しばしさし留めたるを見給へば、大きやかなる岩のさまして、ざれたる常盤木の影繁れり、かれ見給へ、いとはかなけれど、千年も経べきみどりの深さをとの給ひて、

年ふともかはらんものかたちばなの小島のさきに契るこころは

女もめづらしからん道のやうにおぼえて、

たちばなの小島は色もかはらじをこのうき船ぞゆくへ知られぬ

源氏絵として画かるゝ中に、左の諸作有名である。

白描画入冊子浮舟之巻  益田男爵家蔵

岩佐又兵衛筆      長谷川巳之吉氏蔵

近作には左の作がある。

梥本一洋筆       第四回帝展出品

謡曲の『浮舟』は源氏浮舟の巻に取材し、前シテは里の女、後シテは浮舟の霊、ワキは旅僧で、旅僧が宇治の里に里の女にあひ浮舟のことを尋ねる、里の女は匂の宮と浮舟の物語をして消えてしまう、やがて浮舟の霊現はれて身の懴悔をして法の道を求めるといふ筋。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)