王右軍

提供: ArtWiki
2021年12月7日 (火) 19:49時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

おうゆうぐん


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

王右軍、諱は義之、字は逸少、東晋の時の人、右軍将軍會稽内史となれるを以て世に王右軍又王會稽と稱す、書道の聖といはる、生れて七歳にして已に書を善くし、十二歳にして前代筆説を其父の枕中に得て、竊に之を讀む、三十三歳、越州内史として、永和九年三月上已子弟と共に山陰の蘭亭に遊び、曲水流觴の遊を試みて蘭亭序を書す、辞翰冠絶といはる、三十七歳叉黄庭経を書す、逸少草隷八分飛白行共に之を善くし、備に諸體に通じ、一家の法を成し神功を得、實に古今に冠たる所なり、右軍曾つて山蕺に在り、一老姥あり,木りて六角の竹扇を賣らんとす、逸少之に各五字を書す、姥怒る色あり、逸少曰く、但王右軍書せりといへ、容易く賣らるべしと、姥去りて人に示すに、人争つて之を求む、後姥復易を持木りて再ぴ其書を求む、逸少笑つて答へずといふ、世に「王右軍書扇面」と題して此逸話を画くもの多し、川端玉雪氏所蔵に江宗晋の筆、近衛公爵家旧蔵に宗秀の筆あり、共に此図なり、続いては「愛鵞」の図多し、山陰の道士鵞を飼ふものあり、右軍之を見る、道士曰く、希くば道徳経を寫せ吾れ鵞を汝に與へんと、義之欣んで之を寫す、寫し了りて鵞を受け、籠を開きて放ち去るといふ故事を描けるなり、但馬応擧寺に円山応挙画あり、河邊某氏所蔵に渡辺崋山筆あり、埼玉富田氏所蔵に司馬江漢筆あり.近くは橋本雅邦好んで之を画く。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

王右軍、諱は羲之、字は逸少、東晋の生れで右軍将軍会稽内史となつたので王右軍又は王会稽と称した、古来書道の聖と称せらるゝ人、七歳にして既に書を善くし、十二歳の時、其父の所蔵する『前代筆説』を窃み読み悟る処少からず、二十三歳にして越州内史となり、永和九年三月子弟と共に山陰の蘭亭に遊び、曲水流觴の遊を試み、蘭亭序を書いた、三十七歳の時、黄庭経を書いたが共に斯道の精髄と称せらる、そして書体何れにも通じ一家の法をなして、遂に書道の聖と仰がるゝに至つた。

王右軍を画いた作

円山応挙筆  松本双軒庵旧蔵

宗秀筆    今井家旧蔵

橋本雅邦筆  所蔵者不明

田中頼璋筆  第四回文展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)