紫式部
むらさきしきぶ
画題
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解説
画題辞典
紫式部は藤原時代の才媛なり、藤原為時の女、資性敏慧にして最も和歌を能くし、又博く和漢の學に渉り、兼ねて朝廷の典故に明かなり、長じて右衛門権佐藤原宣孝に嫁せしも、幾何もなく宣孝死するや、節操を持して再び嫁せず、上東門院に侍して宮中に奉仕す。因りて紫式部と稱す、寛治年中院には式部に就きて白氏文集を學び給ヘりといへば、一時に推重されしことを知るべし、御堂関白道長卿の如きも、式部のオ色を悦び、當代に双なき権勢を利して之を私せんとし屢々挑みしと雖も、途に従はずといふ。我邦に於て前後を曠ふする名著と推さるゝ源氏物語は、その著述にして、文章結構巧妙を極めて比類稀なる傑作と稱せらる、此述作に筆を執るまでには、屢々近江石山寺に参龍し、又同寺の一室に於て執筆せることもありと伝へられ、画材としては石山参籠のことなど最も用ひらる、古今此オ媛を画くもの多し。土佐光起筆(近江石山寺所蔵)狩野探幽筆(原富太郎氏所蔵)緒方光琳筆(馬越恭平氏所蔵)土佐光成筆(京都熊谷氏所蔵)土佐重隆筆(京都相原氏所蔵)宮川長春筆(京都帝室博物館所蔵)
(『画題辞典』斎藤隆三)
前賢故実
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
(一)平安朝に於ける才媛で、『源氏物語』の著者、式部丞藤原為時の女、右衛門権佐藤原宣孝の後妻となる、式部資性敏慧、幼き時、人の書を読むを聞き、直ちにこれを暗記す、為時甚だ之を愛し、常に之を撫して曰ふ、汝の男子でなかつたことを恨むと、長じて和歌を能くし、博く和漢の旧記に渉り、兼ねて朝廷の典故に通じてゐた、時に上東院方すに文詞を好み婦人の才華あるものを択んで左右に侍せしめた、式部は夫宣孝の死後、寡婦となつたので之に仕へた、上東門院ある時白氏文集を読まうとした、式部は之に楽府三巻を授けた、上東門院の父、藤原道長、その才色を悦んで之を私しやうとしたが、式部拒んで従はず、源氏物語五十四帖を著はして、不朽の名声を遺した、式部此の物語を草するに当り、常に石山寺に参籠して筆を執つたといふ、人となり婉順貞淑にして身を持すること極めて謹厳、著す処、別に紫式部日記一巻があり、長和年中出家し、長元四年年五十六歳にして逝去した。 (本朝列女伝、大日本人名辞書)
紫式部を図するもの多く石山寺に源氏物語を執筆する図で好個の画題とせられ、又歌仙としてその像を画かる。
土佐光起筆 近江石山寺蔵
狩野探幽筆 原善一郎氏蔵
尾形光琳筆 馬越恭平氏蔵
酒井抱一筆 松本双軒庵旧蔵
小川笠翁筆 有賀長文氏旧蔵
宮川長春筆 帝室博物館蔵
小堀鞆音筆 『石山参籠図』 茂子操子氏蔵
寺崎広業筆 春陽荘旧蔵
(二)馬鞭草科の植物で、落葉灌木、幹は高さ五六尺程で稀に一丈許になる、葉は対生で楕円形、両端尖り縁辺に細い鋸歯があり、葉腋から夏日淡紫色の花を開き、花冠が四つに裂けてゐる、花が済むと小さい果実を結ぶ、秋になつて紫色になるので此の名がある。姿勢が優雅なので、時に花鳥画の中に画かる。
速水御舟筆 『初霞』 松宝山荘旧蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)