重盛諌言

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しげもりかんげん


画題

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解説

東洋画題綜覧

たいらのしげもり「平重盛」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


重盛諌言のこと、『平家物語』『源平盛衰記』等に精しく頼山陽の『日本外史』又これを詳説してゐる、『平家物語』に曰く、

良有て入道宣ひけるは『成親卿が諜叛は事の数にも在らず、一向法皇の御結構にても在けるぞや、世を靖んほど法皇を鳥羽の北殿へ奉遷か不然ば是へまれ御幸を成参らせんと思ふは如何に』と宣へば、大臣聞も敢給はずはら/\とぞ被泣ける、入道『如何にや如何に』とあきれ給へば、大臣涙を抑て被申けるは、『此仰承候に、御運は早末に成ぬと覚候、人の傾んとては、必要事を思立候也、又御有様、更に現共不覚候、有繋我朝は辺地粟散の境とは申ながら、天照大神の御子孫、国の主として天児屋根命の末、朝の政を司らせ給ひしより以降、太政大臣に至る人の甲冑を鎧ふ事礼義を背に非ずや、就中御出家の御身なり、夫三世の諸仏解脱幢相の法衣を脱捨て、忽に甲冑を鎧ひ、弓箭を帯し在まさん事内には既に破戒無慙の罪を招く耳ならず、外には又仁義礼智信の法をも背き候なんず、旁々恐ある事にて候へども心の底に旨趣を可遺に非ず、先世に四恩あり、天地の恩、国王の恩、父母の恩、衆生の恩是也、其中に最も重きは朝恩也、普天の下王地に非ずと云ふ事なし、さればかの穎川の水に耳を洗ひ、首陽山に蕨を折し賢人も勅命背き難き礼儀をば存知すること承はれ何ぞ況、先祖にも未聞かざりし太政大臣を極させ給ふ、所謂重盛が無才愚闇の身を以て蓮府槐門の位に至る、加之国郡半は一門の所領と成り、田園尽く一家の進止たり、是稀代の朝恩に非ずや、今是等の莫大の御恩を思召忘れて、猥しく法皇を傾参らせ給はん事、天照大神、正八幡宮の神慮にも背き候ひなんず、日本は是神国也、神は非礼を受給はず、然れば君の思召立所、道理半無に非ず、中にも此一門は代々の朝敵を平げて、四海の逆浪を静る事は無双の忠なれ共、其賞に誇候事は傍若無人と申つべし、聖徳太子十七箇条の御憲法に『人皆心有り心各執あり、彼を是し我を非し我を是し彼を非す、是非の理誰か能く定べき、相共に賢愚なり、環の如くして端なし爰を以て縦人怒ると云とも却て我咎を懼れよ』と、こそ見えて候へ、然れ共御運尽きざるに依て、御謀叛已に露ぬ、其上仰合せらるゝ成親卿を召置れぬる上は、縦君如何なる不思議を思召立せ給ふとも何の恐か候べき、所当の罪科被行ぬる上は、退き事の由を陳じ申させ給ひて、君の御為にも弥奉公の忠動を尽し民の為には益撫育の哀憐を致させ給はゞ神明の加護に預り、仏陀の冥慮に背べからず、神明仏陀感応あらば、君も思召なほす事などか候はざるべき、君と臣とを比るに、親疎別方なし、道理と僻事を並べんに、争か道理に附ざるべき、是は君の御理にて候へば、叶はざらん迄も院の御所法住寺殿を守護し参らせ候べし、其故に重盛叙爵より今大臣の大将に至迄、併ら君の御恩ならずと云ふ事なし、其恩の重き事を思へば千顆万顆の玉にも越え、其恩の深き色を案ずれば、一入再入の紅にも過たらん、然れば院中にも参り籠り候べし、其儀にて候はゞ重盛が身に代り命に代らんと契りたる侍共、少々候らん是等を召具して院御所法住寺殿を守護し申さば有繋以の外の御大事にてこそ候はんずらめ、悲哉、君の御為に奉公の忠を致んとすれば迷廬八万の頂より猶高き父の恩忽に忘れんとす、痛哉、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御為に己に不忠の逆臣と成ぬべし、進退是窮れり、是非いかにも弁へ難し、申請る所詮は唯重盛が頸を被召候へ、院参の御供をも不可仕、又院中をも、守護し参らすべからず、去ば彼蕭何は大功かたへに越たるに依て官大相国に至り剣を帯し沓を履ながら殿上へ昇る事を被許しか共、叡慮に背くことあれば高祖重く警て深く被罪にき、加様の先蹤を思にも富貴と云ひ栄華と云ひ朝恩と云ひ重職と云ひ旁々極させ給ぬれば御運の尽ん事可難に非ず富貴の家には禄位重畳せり、再び実なる木は其根必傷と見えて候、心細うこそ覚候へ何迄か命生て乱れん世をも見候べき、唯末代に生を受て、かゝる憂目に逢候重盛が果報の程こそ拙う候へ、只今も侍一人に仰附られ御坪の内へ引出されて、重盛が首を刎られんずる事は、易い程の事にこそ候へ、是を各聞給へ』とて直衣の袖も絞る許に涙を流しかき口説かれければ、一門の人々有心も無心も皆袖をぞ湿されける。  (平家物語巻第二)

重盛諌言を図するもの二三を挙ぐ、

宇喜多一蕙筆        有賀長文氏旧蔵

冷泉為恭筆   『忠孝』  吉田楓軒氏旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)