鸕鷀草葺不合命

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うがやふきあえずのみこと


画題

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解説

東洋画題綜覧

鸕鷀葺不合命は、彦火々出見命の御子、母は豊玉姫で、神武天皇の父君である、御母豊玉姫、将に命を産まんとし給ふ時、俄に産舎を設け、鵜の羽を以て葺かうとした時、まだ葺合へぬ中に生れましたので此の御名がある。

於是、海神の御女豊玉毘売命、自ら参出て白し給はく、「妾、已より姙身るを、今子産む時になりぬ、此を思ふに天つ神の御子を海原に生み奉るべきにあらず、故、参出で来つ」と白し給ひき、爾〈かれ〉、即ち其の海辺の波限〈なぎさ〉に鵜の羽を葺草〈かや〉にして産殿を造りき、於是〈ここに〉其の産殿未だ葺き合へぬに御腹忍へ難くなり給ひければ、産殿に入りましき、爾〈ここに〉御子、産みまさむとする時に、其の日子に白し言はく、「凡て佗国の人は臨産時〈こうむをり〉になれば本つ国の形になりてなも産むなる、故〈かれ〉、妾〈あれ〉も今本の身になりて産みなむとす、妾と勿見給ひそ」と白し給ひき、於是〈ここに〉、其の言を奇しと思ほして其の方に御子産み給ふをかひまみ給へば八尋鰐魚に化〈な〉りて匍匐〈はひもこよい〉委蛇き、即、見驚き畏みて遁げ退き給ひき、爾〈ここに〉、豊玉毘売命、其伺見給ひし事を知らして心恥かしと思ほして其子を生み置きて、「妾、恒は海つ道を通して往来〈から〉はむとこそ欲〈おも〉ひしを、吾が形を伺〈かき〉見給ひしが甚〈いと〉恥かしき事」と白して即ち海阪を塞きて返り入りましき、是を以て、其の産〈あ〉れませる御子の御名を天津日高波限建鵜葺草葺不合命〈あまつひだかひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと〉と申す。  (古事記上巻)

鸕鷀草葺不合命を画いた作に左記のものがある。

狩野探幽筆  東京帝室博物館

吉川霊華筆  本間久雄氏蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)