鵠の鏡

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かささぎのかがみ


画題

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解説

東洋画題綜覧

に関する伝説の一つ、鏡が化して鵲となり夫のもとに飛去つたといふ、それから鏡のうらに鵲を鋳るといふ、この伝説を書いたものに幸田露件の『金鵲鏡』がある、曰く

唐土に陳氏とて賢女の聞えありけるが、世のならひ思はずも夫遠行の仔細あり、これや限りと思ひけん、形見の鏡破れて猶光ぞ残る三日月の宵に待ち、明けて恨み文絶え、主も来ず、憂き年月をふるさとの、軒端の荻の秋更けて風の便の伝へ聞けば、夫は楚の国の主となり、あらぬ妹背の川波の、立帰るべきやうもなし、さては逢ふことも、かたみの鏡我ひとり、涙ながらに影見れば、半月の山の端に、うち傾いて泣くならで、せんかたもなき折柄に、いづくよりとも知らざりし、鵲ひとは飛来り、陳氏が肩に羽を休め飛びめぐり飛びさがり、舞ふよと見えしが不思議やな、有りし鏡の破片となり、故の如くになりにけり、満月の山を出で碧天を照すがどとくなり、これや賢女の名を磨く鏡なるべし。

これを日本風に描いたものに、山川秀峰の『鵲の鏡』がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)