顔回

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がんかい


画題

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解説

画題辞典

顔回、字は十淵、魯の人、春秋戦国の世に生れ、孔子の弟子となる。貧にして唯道を樂しみ、陋巷に居り肱を曲げて眠り敢て顕達を願わずという。孔子も常にその仁を称せり、二十九歳にして頭髪皆白く、三十一歳にして死す。

狩野探幽が孔子会参と共に三幅対として画けるもの米国ボストン博物館に在り。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

顔回は孔門十哲の一人、徳行を以て聞え、孔子も常にその人物を推称したといふ、僅か三十一歳で孔子に先立つて没した。

顔回は魯の人、字は子淵、孔子より少きこと三十歳、顔淵仁を問ふ、孔子曰く『己れに克ち礼に復らば天下仁に帰す』と、孔子曰く『賢なるかな回や、一箪の食、一瓢の飲酒巷に在るは人その憂に堪へざるところなるも、回やその楽みを改めず』と、『回や愚なるが如し、退きてその私を省れば亦以て発するに足る回や愚ならず』と、『これを用ふれば則ち行ひ、これを捨つれば則ち蔵るゝは唯我れと爾とこれあるかな』と、回年廿九髪尽く白し蚤く死す、孔子これを哭して慟す、曰く『吾れ回有りてより門人益々親しめり』と、魯の哀公問ふ、『顔回といふ者ありき、学を好み怒を遷さず、過を弐せざりしが、不幸にも短命にして死せり、今や則ち亡し』と。  (仲尼弟子列伝)

道釈人物画としてよく画かる、狩野探幽には中孔子左右顔回曽参の三幅対の名作あり、いまボストン博物館に襲蔵せらる。

矢野鉄山筆 『孔子と顔回』 第二回乾坤社出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)