蛇性の淫

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じゃせいのいん


画題

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解説

東洋画題綜覧

上田秋成が名作、『雨月物語』中の一篇である、その梗概を記すと

紀伊の国の三輪ケ崎の大宅の竹助といふものゝ三男に豊雄といふものがあり、師のもとに通つての帰るさ、知るべの海郎のところで雨宿りしてゐると、容色美しい二十ばかりの女が十四五の女の童を伴つて雨やどりし、豊雄から傘を借りて帰る、豊雄が女を尋ねて新宮のあたりに出かけて行く、物語はこれから怪奇を極めるので、女は真名児といひ蛇体であり、一夜の宿りに豊雄が女から貰ひ受けた刀が権現の神宝で、当時行衛が判らずなつてゐたものと知れ、豊雄は獄に繋がれる、漸く身のあかりを立てゝ獄から出たが、女の恐ろしさに大和の石榴市に嫁いでゐる姉の許を訪ね暫く無事に月日を過してゐる中、又もや真名児が現はれて、豊雄を搔き口説く、豊雄もその情にほだされて再び契をかはし夫婦となつてゐる、ある日姉の金忠夫婦と豊雄夫婦が打連れで花見に出かけると、道に一人の翁がゐて真名児と女の童のまろやをつく/゙\と眺め、遂に正体を見現はす、真名児とまろやは忽ち滝の中に躍り入つて姿を晦ましてしまう、その後、豊雄には庄司の娘富子といふ妻が出来たが、蛇体の真名児は此の富子に憑いて散々にこれを悩ます、結局道成寺の法海和尚によつて済度され、真名児とまろやは蛇体となつて、鉄鉢の中へ入れられ、豊雄は危き命を救はれる。

その雨やどりの一節を左に引く。

外の方に麗しき声してこの軒しばし恵ませ給へといひつつ入り来るを、奇しと見るに年は二十にたらぬ女の、顔容髪のかかり、いと艶びやかに、遠山ずりの色よき衣着て了鬟の十四五ばかりの清げなるに包みし物をもたせ、しとゞに濡れてわびしげなるが、豊雄を見て面さと打赤めて、恥かしげなる形の貴やかなるに、不慮に心動きて且思ふはこの辺にかうよろしき人の住むらんを、今まで聞かぬことはあらじを、こは都人の三つ山詣せし次に、海愛らしくここに遊ぶらん、さりとて男だつ者もつれざるぞ、いとはしたなる事かなと思ひつつ、すこし身を退きてここに入らせ給へ、雨もやがてぞ休みなんといふ、女暫し宥させ給へとて、ほどなき住ひなれば、つひ並ぶやうに居るを見るに近まさりして、この世の人とも思はれぬばかり美しきに心も空にかへる思ひして、女にむかひ貴なるわたりの御方と見奉るが三山詣でやし給ふらん、峰の温泉にや出で給ふらん、かうすさまじき荒磯を何の見所ありて狩りくらし給ふ、ここなん古へ人の

くるしくもふりくる雨か三輪ケ崎佐野のわたりに家のあらなくに

とよめるは、まことけふのあはれなりける、この家賎しけれどおのれが親の目かくる男なり、心ゆりて雨休め給へ、そもいづち旅の御宿りとはし給ふ、御見送せんも却りて無礼なればこの傘もて出で給へといふ。

此の『蛇性の淫』を画いたものに左の作がある。

鏑木清方筆  金鈴社展出品

浅見松江筆  第八回帝展出品

鈴木朱雀筆  第九回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)