弥陀十二光仏

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みだじゅうにこうぶつ


画題

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解説

東洋画題綜覧

十二光は阿弥陀仏の光明を、その徳用により十二種に分つて名づけたもの。

無量光、無辺光、無碍光、無対光、燄王光、清浄光、歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光

で、その一々の光徳により立つる処の阿弥陀仏の名を十二光仏といふ、一に無量光仏とは、阿弥陀仏は光明数多くして数へ尽せぬからかく名づけ、その光益の長遠三世に互る、二に無辺光仏とは燄、光明十方世界を照し辺際なき故名付けられ、又衆生の機縁を簡ばり悉く照耀する故名く、三に無碍光仏とは光明人法の何物にも障碍さるゝ事ない為め名付けられ、四に無対光仏とは、その光明、諸仏の光明もこれに対立することが出来ない故此名があり、五に燄王光仏とは又光燄王仏ともいひ、其光明は諸仏の光明中最尊最勝なるが故に名づけられ、又其光明は衆生の煩悩を焼尽すといふ、六に清浄光仏とは、其光明は、仏、無貪の清浄心より現じて、よく衆生の貪濁を除くが故に名づけ、又その色相も清浄な故に名付く、七に歓喜光仏とは光明、仏、無瞋の善心より生じ、よく衆生の瞋恚の心を除き歓喜の心を生ぜしむるから名づくといひ、八に智彗光仏とはその光明仏無痴の智心より生じて、よく衆生の無明を除くが為め、九に不断光仏とは、その光明三世十方に亘り常に照益し断滅すること無きが故、十に難思光仏とは、その光明不可思議にして二乗等の思議すること能はざる故に名付け、十一に無称光仏とは其光明言語の境を絶し、余乗等の称説すること出来ぬ故に名づけられ、十二に超日月光仏とは、その光明遠く娑婆界の二曜を超越するが故に名付けられてゐる。  (仏教辞林)

これを描いたもので有名なのは、陸中中尊寺金色堂の巻柱で藤原時代の作である。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)