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	<title>Z0688-1-022 - 版の履歴</title>
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		<id>https://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php?title=Z0688-1-022&amp;diff=62838084&amp;oldid=prev</id>
		<title>2025年5月7日 (水) 00:00にWikiSysopによる</title>
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		<updated>2025-05-07T00:00:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=総合=&lt;br /&gt;
== 和漢百物語　主馬介卜部季武 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Z0688-1-022.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;【翻刻】&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「主馬介卜部季武」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　季武は頼光四天王の其一人にて万夫不同の英傑なりある夜忍びて外面に出しに怪の女彳めり背に羽ありて懐に産児を抱て嘆啼有さま此世の人とも思はれず季武是をはつたと斜眼ば形は消て失にけるこは是産女の怪とぞ聞えし　　隅田了古記&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;【基本情報】&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　絵師：芳年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　落款印章：一魁斎芳年画&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　改印：丑二改　＜慶応元(1865)年二月＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　版元：[[ツキヂ大金]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;【題材】&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この作品は、『[[今昔物語集]]』巻第二十七の「頼光郎等平季武産女値語第四三」を題材に描かれたものと考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　＜梗概＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　源頼光が美濃守であった頃のこと、武士共が集まって雑談に花が咲いた折、美濃国の渡に出没する産女の話になった。産女は夜になって川を渡ろうとする者に赤子を抱けと言ってくるという。仲間と賭けをした平季武が九月下旬の月のない暗闇の中、一人でその川を渡りに馬を走らせた。ひそかに後をつけた若者三人がススキの中に隠れて見ていると、季武は約束通り証拠となる矢を地面に刺しているらしい。しばらくして、川を引き返し渡ってくる途中で女が出現し、「これを抱け、これを抱け」と言う。「よし、抱いてやろう」と季武が言うと、女は赤子を手渡した。すると今度は女は「その子を返しておくれ」と季武を追いかける。季武は「もう返さんぞ」と言って抱かされた赤子をそのまま奪って帰ってきた。館に帰って袖を開いてみたところ木の葉があるだけで赤子の姿は消えていた。若者三人から川での出来事を聞いた仲間達は約束通り賭け物を渡そうとしたが季武は断ったため、この話を聞く人は皆季武を褒め称えた。産女とは、狐が人を化かそうとしてするのだと言う人もいれば、お産の時に死んだ女が霊になったものだという人もいる、と語り伝えているとかいうことらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　『今昔物語集』から読み取れる産女の情報は、「赤子を抱いている」「生臭い匂いがする」の二項目だけであり、産女についての細かな描写がなされていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;【登場人物】&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◇[[主馬介卜部季武]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　J・スティーブンソン氏は「Shusuinosuke Tobe Suetake」（しゅすいのすけとべすえたけ）と読んでいるが、おそらく正しい読みは「しゅめのすけうらべのすえたけ」であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　季武は平安時代中期の武将[[源頼光.]]の四人の家来（[[頼光四天王]]）の一人。天暦四年生まれ、治安二年二月死去（950-1022）、七十三歳。通称は六郎。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　満仲の老臣卜部季国の子で、季国の怒りを買って家を追われた為、伊豆国足柄山のふもとの律院に身を寄せていた。季武を追ったことを悔いていた季国は、源頼光が上総守となって下向する時、頼光に従う渡辺綱にひそかに帰家するよう伝言を頼んだ。季武も父への謝罪のとりなし執り成しを頼むために綱の旅舎を訪れたので、二人は和解し一件落着した。老父の死後、頼光に仕えることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　伝説では、源頼光に従って丹波大江山の盗賊酒呑童子を討ったと伝えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◇産女&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:ubume.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　産女とは一般的に難産で亡くなったり、子供を死産した女の霊が妖怪となったものを言う。赤ん坊を抱き、血に染まった腰巻きをまとっていたりする。道ばたに赤ん坊を抱いて現れ、通行人に赤ん坊を抱くように頼んでくる。赤ん坊を受け取ると、離そうとしても離れず、殺されてしまったり、赤ん坊と思っていたものが墓石や木の葉であったりする。抱いた赤ん坊がだんだんと重くなり、腕が千切れそうにまでなるが、それでも重さに負けず耐えて抱いていればお礼として「怪力」や「宝玉」「名刀」などを授けてくれるとも言う。地方や文献によってその形態は様々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　柳田国男によれば、産女は人の死後霊信仰の現象ではなく、口承文芸からの産物にすぎないとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また、中国に伝わる「姑獲鳥（こかくちょう）」という妖怪も、産婦が死んで幽霊になったものとされており、江戸時代になって日本の産女と同一視されて姑獲鳥と書いて「ウブメ」を読まれるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　『日本昔話事典』では、「死者の霊魂が精霊になる場合で、ことに悪い死に方をして他界に入れない死者の霊魂、たとえば日本の産女もその例である」というように、産女は精霊として挙げられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　[[産女の描かれ方]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　資料を通して見える産女像は以下の通りである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　・産女とは難産で亡くなった女のことを言う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　・子を抱いている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　・出会った人間に子を抱くよう強要する&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　・腰から下は血に染まっている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　・足がなく、所謂幽霊の下半身をしている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　全ての作品がこれらの要素を全て有しているわけではないが、比較的高い割合でその表現が見られる。芳年の描いた産女も「子を抱いて」おり、「腰から下は血に染まっている」。しかし、多くの作品は産女単体や産女に焦点が当たったものであり、季武の話を採り上げているのは題材と思われる『今昔物語集』と葛飾北斎の『和漢絵本魁』だけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;【葛飾北斎との比較】&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　[[葛飾北斎]]の『和漢絵本魁』は天保七年（1836年）の作品であり、芳年の作品（1865年）よりも早くに世に出ている。葛飾北斎は江戸後期の浮世絵師であり、幅広い画域を持つ当時大変人気を博していた才人であった。芳年の師である歌川国芳は、「当時読本挿絵や絵手本類にユニークな活躍を展開していた葛飾北斎を私淑し」(注1)ていたようであり、その弟子の芳年も北斎の影響を受けていたと考えられる。また、産女と対峙する季武の物語が記されている『今昔物語集』が、江戸時代にあまり流布していなかったようであったことも踏まえて見ると、芳年がこの題材を使用して産女を描いたのは、北斎の作品から影響を受けた可能性が非常に高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇類似点&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・産女と卜部季武&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・二人の配置&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・背後に横切る植物&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・地に生える草&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　◇異なっている点&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・下駄の有無&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・雨&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・背後に流れる川&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・季武の着物&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　・産女の描き方&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;【江戸時代の産女像】&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　卜部季武と産女の背後には背景を横切るように川が流れている。題材であると考えられる『今昔物語集』の「頼光郎等平季武産女値語」では、川を渡っている途中に卜部季武が産女と会うという話なので川が描かれているのは何ら不思議なことではない。しかし、影響を受けたであろう葛飾北斎の作品には川が描かれていない（無彩色であるため断言は出来ないが）。他の産女を見てみると、川が確認できるのは鳥山石燕作『今昔画図 続百鬼』と『江戸妖怪かるた』の二つだけである。もちろん全ての産女を集めたられたわけではないので、川が描かれている産女の作品がこれ以外に無いとは限らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◇流れ灌頂&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　資料数が乏しくはあるが、この二つを見比べてみると両者共に「流れ灌頂」が描かれていることに気が付く。「流れ灌頂」とは、「灌頂の幡（はた）または塔婆を川や海に流して功徳を回向する法会。特に、水死者、難産で死んだ婦人、無縁仏などの供養のために行われるが、本来は魚類などを救うために行ったもの」（注2）である。さらに具体的に言うと、「橋の袂や小川のほとりに、梵字や死者の戒名を記した塔婆を建て、その脇に四本の棒に経文を記した白い布、または赤い布をはり、とおりすがりの人に、柄杓で水をその布にかけてもらう。月日が経るに従い、梵字が消えたり、赤色がすっかり漂白されると、やっと妊婦の霊は往生できるのだという信仰」（注3）である。この習俗は、「産後の流血が激しく、ついに落命した妊婦の数は、以前はかなりあった」（注4）ことを反映しているそうだ。これらを踏まえると、流れ灌頂を描くことにより産女が難産で亡くなった女の霊であることを示していると分かる。「産で死んだら血の池地獄、あげておくれよ水施餓鬼」（注5）の「施餓鬼」とは流れ灌頂を指しているのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◇「東海道四谷怪談」のお岩さん[[画像:oiwasan.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「産女」「流れ灌頂」と並べて当時の人々が思い浮かべるのは、日本で最も有名な女幽霊、四谷怪談の「お岩さん」である。&lt;br /&gt;
「四谷怪談」とは女岩が夫伊右衛門に騙され惨殺されて幽霊となり、伊右衛門や関わった人物に復讐を果たすストーリーの怪談で、歌舞伎や落語などによって人気を博していた。とりわけ歌舞伎の「東海道中四谷怪談」は現在でも非常に有名な作品である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　お岩の幽霊を見た伊右衛門はお岩を成仏させようと柄杓を取り流れ灌頂に水をかけようとする。しかしそこでお岩の幽霊が出てくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　「伊右衛門、白布の上へ水をかける。この水、布の上にて心火となる。伊右衛門、たじたじとなる。ドロドロはげしく、雪しきりに降り、布の内より、お岩、産女の拵へにて、腰より下は血になりし体にて、子を抱いて現はれ出る。」（注6）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　逃げた伊右衛門をお岩が追いかける際には、「お岩の足跡は雪の上へ血にてつく事」と演出が細かく書かれている。さらにお岩は赤子を伊右衛門に渡すのであるが、お岩が消えた驚きで赤子を取り落とすとその赤子はたちまち石地蔵となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　このように岩さんはまさに産女であり、つまり当時の人々の観念としては「産女＝お岩さん」であった。「江戸妖怪かるた」の産女はまさに「流れ灌頂から出る産女」、お岩さんを描いている。しかしこの雪中の場面は、「再演以後、夏狂言となって、流れ灌頂のかわりにお盆の迎え火がたかれ、提灯抜けのケレンによるお岩の亡霊出現の演出が行われるようになった」（注7）そうである。故に浮世絵に描かれたお岩の画は提灯と共に描かれているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◇産女と水&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また作品には斜め右へと走るように雨が描かれているが、「頼光郎等平季武産女値語」の本文には雨が降っているとは書かれていない。雨が確認できるのは、芳年の作品と鳥山石燕の作品だけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　『彩入御伽艸』（文化五年、市村座の夏狂言）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「水の内より幸崎、ぼうこんのこしらへにて、心火もへて、いぜんの抱子をかゝへ、こつぜんとあらわれ出る。この時、本雨しきりにふる。（中略）幸崎、抱子をいろいろかいほうして芦間に行、うずめし印をとりだす。」（注8）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　『阿国御前化粧鏡』（文化六年、森田座の夏狂言）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「水の中より〔栄三郎〕かさねの亡魂のこしらへ、抱子をかゝへ、忽然とあらわれ出る。この時、本雨しきりに降。」&lt;br /&gt;
（伊原敏郎の『歌舞伎年表』には「此狂言評よく大入なりし処、七月節句、けんくわ有て一両日休、又々はじめ、盆後同じ狂言にて八月五日まで興行。」とあり、当時非常に人気の歌舞伎であったことが分かる。）（注9）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
［以上二つの資料は、高橋則子「鶴屋南北と産女—『天竺徳兵衛韓噺』の乳人亡霊から『四谷怪談』の岩への変質—」（「文学」1985年4月号）から遡らせて頂いた］&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　このように産女の姿をした人物は「水の中」から現れ、しかも「大雨」が降っている時という設定である。水はそれ自体が「浄め」の意味を持っている。これは「水の洗浄力や流水の力によって罪穢をはらい清めることができるとする固有の「禊」の観念」（注10）からきている。つまり流れ灌頂という形をとっていなくても、水（芳年の作品では川と雨）そのものが「禊」を効果を果たし、水を描くことでそこから繋がる供養の意味を醸し出したのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;【その他】&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　・[[産女と地獄思想]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　・[[季武の下駄]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　・[[季武の着物]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　・[[『和漢百物語』主馬介卜部季武の技法について]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;【まとめ】&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　当時人気を博していた葛飾北斎の「季武と産女」が先に出ていたとしても、『今昔物語集』の「頼光郎等平季武産女」を知る人はそう多くはなかっただろう。『今昔物語集』自体が江戸時代あまり流布していなかったというから尚のことである。「流れ灌頂から出る」という元々の設定が変っていたとしても、当時最も有名な産女はやはり「お岩さん」であったに違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　では、何故あえて芳年は知名度の低い「季武と産女」を選択したのか。それは単に「産女」だけを描くと、望む望まぬに関わらず鑑賞者は「お岩さん」としか認識しなかったからではないか。芳年は「お岩さん」だけで作品を終わらせたくなかった。これは、作品に張られたたくさんの伏線からも言えることである。しかし、「産女と季武」を描くにしても「産女という妖怪と出会った武将季武の武勇伝」だけでは終わらせなかった。「東海道四谷怪談の産女」「水の尊さと禊ぎ」「ヒーロー卜部季武」「牛若丸」「地獄思想」といった複数の世界を想像させる工夫をこらしたのである。また類似する葛飾北斎・鳥山石燕の作品も同時期の作品であることから、鑑賞者は芳年の作品を通してこれらの作品を思い浮かべたであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　このように、この作品は鑑賞者に様々な面白さを与える要素を有している。そして、そのような作品に描かれる産女が「哀れだがどこかしら滑稽」(注11)であることがまた異種の面白さを醸し出し、鑑賞者を楽しませたのではないかと考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
＜脚注＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注1）ビジネス教育出版社『浮世絵の魅力』、1984年05月11日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注2）『日本国語大辞典　第二版』、小学館、1977年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注3）宮田登『血穢とケガレ―日本人の宗教意識の一面―』（『日本における国家と宗教』、大蔵出版、1978年12月5日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注4）注3と同じ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注5）五来重『日本人の地獄と極楽』、人文書院、1991年3月20日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注6）『東海道四谷怪談』新潮日本古典集成第四五回、新潮社、1981年08月10日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注7）高橋衛『お岩と伊右衛門—「四谷怪談」の深層—』、洋泉社、2002年09月09日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注8）郡司正勝『鶴屋南北全集』、三一書房、1971年9月30日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注9）注8と同じ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注10）佐々木孝正『流灌頂と民俗』（『講座・日本の民俗宗教２　仏教民俗学』、弘文堂、1980年04月10日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（注11）岡本祐美・小島薫 他『激動期の美術ー幕末・明治の画家たち［続］』、ぺりかん社、2008年10月30日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
＜参考・引用文献＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早川純三郎 他 編『徳川文芸類集 第四』、国書刊行会、1915年7月15日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本放送協会 編『日本昔話名彙』、日本放送出版協会、1948年3月1日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
郡司正勝『鶴屋南北全集』、三一書房、1971年9月30日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『日本国語大辞典　第二版』、小学館、1977年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
稲田浩二 他 編『日本昔話事典』、弘文堂、1977年12月20日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『日本における国家と宗教』、大蔵出版、1978年12月5日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『国史大辞典』、吉川弘文館、1979年3月-1997年4月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
能坂利雄 編『日本家紋大鑑』、新人物往来社、1979年09月20日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮坂宥勝『日本仏教のあゆみ』、大法輪閣、1979年11月01日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
五来重 等編『講座・日本の民俗宗教２　仏教民俗学』、弘文堂、1980年04月10日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
桜井徳太郎 編『民間信仰事典』、東京堂出版、1980年12月10日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『東海道四谷怪談』新潮日本古典集成第四五回、新潮社、1981年08月10日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岡本勝『初期上方子供絵本集』、1982年02月28日、角川書店&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
原色浮世絵大百科事典編集委員会 編『原色 浮世絵大百科事典　第三巻　様式・彫摺・版元』、大修館書店、1982年4月15日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
原色浮世絵大百科事典編集委員会 編『原色 浮世絵大百科事典　第二巻　浮世絵師』、大修館書店、1982年8月5日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ビジネス教育出版社『浮世絵の魅力』、1984年05月11日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高橋則子「鶴屋南北と産女—『天竺徳兵衛韓噺』の乳人亡霊から『四谷怪談』の岩への変質—」（「文学」1985年4月号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真藤建志郎『見る 知る 楽しむ 「家紋」の事典』、日本実業出版社、1985年09月20日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
永田生慈 解説『北斎の絵手本２』、岩崎美術社、1986年06月30日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
乾克己 他 編『日本伝奇伝説大事典』、角川書店、1986年10月10日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
吉田暎二『浮世絵事典《定本》』、画文堂、1990年10月30日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
五来重『日本人の地獄と極楽』、人文書院、1991年3月20日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
澤田瑞穂『訂正 地獄変ー中国の冥界説』、平河出版社、1991年07月15日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
稲田篤信 編『鳥山石燕　画図百鬼夜行』、国書刊行会、1992年12月21日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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志村有弘・松本寧至 編『日本奇談逸話伝説大辞典』、勉誠社、1994年2月&lt;br /&gt;
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『井原西鶴集１　新編日本古典文学全集』、小学館、1996年4月10日&lt;br /&gt;
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服部幸雄『花道のある風景　歌舞伎と文化』、白水社、1996年05月30日&lt;br /&gt;
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石田瑞麿『例文 仏教語大辞典』、小学館、1997年03月01日&lt;br /&gt;
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朝倉治彦・深沢秋男 編『仮名草子集成 第二十一巻』、東京堂出版、1998年3月20日&lt;br /&gt;
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多田克己 編『江戸妖怪かるた』、国書刊行会、1998年12月01日&lt;br /&gt;
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村上健司 編『妖怪事典』、毎日新聞社、2000年04月20日&lt;br /&gt;
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近藤瑞木 編『百鬼撩乱ー江戸怪談・妖怪絵本集成』、国書刊行会、2002年07月30日&lt;br /&gt;
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高橋衛『お岩と伊右衛門—「四谷怪談」の深層—』、洋泉社、2002年09月09日&lt;br /&gt;
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湯本豪一『妖怪百物語絵巻』、国書刊行会、2003年07月22日&lt;br /&gt;
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湯本豪一 編『続・妖怪図巻』、国書刊行会、2006年05月25日&lt;br /&gt;
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高澤等『家紋の辞典』、東京堂出版、2008年05月30日&lt;br /&gt;
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岡本祐美・小島薫 他『激動期の美術ー幕末・明治の画家たち［続］』、ぺりかん社、2008年10月30日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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		<author><name>WikiSysop</name></author>
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