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		<title>2025年5月7日 (水) 00:00にWikiSysopによる</title>
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		<updated>2025-05-07T00:00:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=総合=&lt;br /&gt;
小倉擬百人一首　第56番　「[[和泉式部]]」&lt;br /&gt;
[[画像:z0677-056.jpg|thumb]] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あらざらん　この世のほかの　おもひ出に　今ひとたびの　逢ふこともがな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*歌意&lt;br /&gt;
:この病で私はまもなく死んでしまうかもしれませんが、そこでこの世の外のあの世で思い出すこととして、もう一度あなたとお逢いしたものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『後拾遺集』巻十三、恋三に出ている763番目の歌。前書には「ここち例ならず侍りけるころ人のもとにつかはしける」とあり、長いあいだ病臥していたころ、人にとどけさせた歌、である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*翻刻&lt;br /&gt;
:義ハ最（いと）重し　東大寺の礎　命は是（これ）軽し　猿沢の柳葉両雄並立つ　重忠　景清　嶋隠れ行父が身は宜（むべ）なり　女（むすめ）に[[人丸]]を持てり　柳下亭種員筆記&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両雄並び立たず…《「史記」生伝の「両雄倶(とも)には立たず」から》同時に現れた二人の英雄は、必ず勢力を争ってどちらかが倒れるものであること。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*落款印章：一勇斉国芳画&lt;br /&gt;
*絵師：[[歌川　国芳]]&lt;br /&gt;
*彫師：彫竹&lt;br /&gt;
*版元文字：伊場仙板　　版元：[[伊場屋仙三郎]]&lt;br /&gt;
*改印：名主単印「村」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[悪七兵衛景清]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[景清隈]]（かげきよぐま）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[余説]&lt;br /&gt;
[[景清もの]]の謡曲・浄瑠璃・狂言はかなり多いが、種員筆記にそのまま該当するものは見当たらない。前半の東大寺をあげ、「猿沢の柳葉両雄（重忠・景清）並立つ」は、近松が古浄瑠璃から義太夫に入った第一作『[[出世景清]]』貞享（じょうきょう）三年（1686）二月　大坂竹本座初演の時代物、五段。西沢一風作『[[大仏殿万代石礎]]』享保十年（1725）十月　大坂豊竹座初演　などにあたり、歌舞伎の「大仏供養」の始めは、操浄瑠璃『富士雪年貢曽我(ふじのゆきみつぐそが)』延享三年（1746）正月　中村座上演、等。後半の「嶋かくれ行父」と女人丸との別れは、若竹・笛身弓・黒蔵主・中村阿契作『[[嬢景清八島日記]]』明和元年（1764）十月大坂豊竹座上演がある。江戸では文化十年（1813）二月　中村座で上演。三段目の「毛毬の宿より日向島」の段を指しているかと思われる。しかし、国芳画は江戸で歌舞伎十八番の『景清』（荒事の「牢破りの景清」)らしく見える。ということは、八世市川団十郎の扮する[[鳴神上人]]（嘉永四年五月）が髪を逆立て、柱巻きの見得でキットきまったところの凄絶な髪形である百日毬栗（いがぐり）頭の役者絵と、この「悪七兵衛景清」の髪型が同じで、こちらは薙刀(なぎなた)に寄って見得をきっている姿とが相似ているからである。とすれば、前記『富士雪年貢曽我』の幕切れの時の姿絵と見る。従って、国芳と種員筆記とは、くいちがっている。いずれにせよ、本歌の情熱的な恋歌の下句「今ひとたびの逢ふこともがな」を景清の娘の立場に見立て、立ち去る景清の姿を描いた役者絵。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;参考&amp;gt;〔古典聚英９〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画　平成１４年（2002）,吉田幸一,笠間書院&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参考　The Hundred Poets Compared - A Print Series by Kuniyoshi/Hiroshige/and Kunisada&lt;br /&gt;
2007,Henk J. Herwig/ Joshua S. Mostow,Hotei Publishing&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（以下和訳）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
景清は武人で、その偉業は平家物語の中で描かれている。彼の忠誠と大胆さは、能や指人形、歌舞伎の中で人気のあるキャラクターとして彼を登場させた。本来景清は藤原一族の一員であったが、勇敢さのおかげで、彼は平一族に養子とされ、藤原一族と戦い、源のライバルとなった。戦いで、彼の父と兄弟は、軍のリーダーの頼朝の命によって殺された。景清自身は、おじの聖職者大日の寺に避難を求めねばならなかった。景清が大日を発見したとき、大日（大日房能忍）は頼朝側の人間であったため、ためらいなく彼を殺した。そうして七階級の悪い武人、「悪七へ兵衛」の名を得た。&lt;br /&gt;
1185年の壇ノ浦の戦いで、平氏一族が源一族によって決定的に負かされた時、景清は、逃れ生き残った数少ない平の武士のうちの一人であった。が、1195年に捕らえられ、鎌倉の扇ガ谷（おうぎがやつ）で牢屋に閉じ込められた。そこで、すべての飲食物を拒否し、景清は餓死した。&lt;br /&gt;
少なくとも、演劇表現の中では、景清の人生は違った道を辿っている。敵の手から逃れようとして景清は、聖職者として隠れ、彼の憎む敵源頼朝のいる奈良を去った。景清は畠山氏重忠（他の情報では秩父重忠）によって発見され、大きな斧ヤリで頼朝を暗殺する計画を実行する前に捕らえられたのである。頼朝の大勝利の証の方が、目が見えないよりずっと景清を怒らせた。&lt;br /&gt;
一方種員の散文は、景清の娘人丸に集中しているように思われる。(また、人丸の名は、早期の歌人として知られ、もっとも有名な詩(韻文)は種員によってほのめかされた“嶋がくれ”のフレーズである。)国芳が描写したこのラストシーンは、ほことやりを手に持つ景清と、源頼朝のまばゆい竹の鳥冠や秋の笹竜胆である。その詩は、もう一度頼朝を殺す機会を持ちたいという景清の欲求を表現している。[[阿古屋]]は景清の愛人で、プリント18で描かれている。日向に流罪になった目の見えない男景清と彼の娘人丸との対面は、プリント97で描かれている。&lt;br /&gt;
プリントに描かれているその人物の顔は、[[5代目市川海老蔵]]（隠居後の市川団十郎七代目の名）と類似点がある。その俳優は、河原崎座で1842年3月に景清の役を演じた。その時彼は贅沢によって捕らえられ、江戸から追放された。彼が江戸に戻った後、1850年3月に再び河原崎座で景清の役をやった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*考察&lt;br /&gt;
*朝顔について&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
江戸時代に入ると、俳句、歌舞伎、浮世絵などの庶民芸術が発展し、その中にアサガオが早々と登場する。1682年に詠まれた芭蕉の俳句に「あさがほにわれは飯くふ男かな」というのがあり、芭蕉一門の俳句にもアサガオを詠んだものがかなりある。元禄期（1688～1703）にはアサガオの栽培は江戸庶民の間に相当普及していた。江戸中期の十八世紀前半（1701～1750）につくられた歌舞伎十八番の「助六」には派手な衣装をつけた朝顔せん平が登場し、浮世絵にもアサガオはよく描かれている。（浮世絵検索システムで画題が朝顔のものは59）&lt;br /&gt;
江戸後期の文化八年に馬田柳浪は読本「朝顔日記」を書き、「生写舜（あさがお）日記」という芝居になり、人形浄瑠璃となって人気を博した。江戸の朝顔市は天保（1830）の頃から始まり、毎年多くの朝顔鉢で賑わった。アサガオは完全に庶民の花となった。&lt;br /&gt;
朝顔は中国から渡来してからずっと青色の花として栽培されてきたが、白い花色だけは江戸に入る前に出現していた。十七世紀末には白、赤、浅黄（淡青）、るり色の朝顔ができた。&lt;br /&gt;
今、「団十郎」と呼ばれている茶系の朝顔がある。これは歌舞伎の団十郎が好んだ色ということで、茶色の系統を「団十郎」と呼ぶことからきている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この浮世絵に描かれている人物は、[余説]で八代目市川団十郎か七代目市川団十郎ではないかとわかったので、ここに描かれている朝顔は、茶系の種類のものなのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*擬えているものについて&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
吉田幸一氏の[余説]にあるように、私も、この絵は、日向島に流されてしまった盲目の父景清に会いたいと願う娘人丸の立場を見立てたものだと考える。しかし人丸だけではないとも考えている。景清の愛人とされた阿古屋の立場も表していると考えるからである。近松作の『出世景清』ではこの阿古屋の琴責と同じ展開になるのは小野姫（熱田大宮司の娘・景清の妻）である。景清がいる京に着いた小野姫は、父親が入れられた牢を探しているうちに、梶原源太に捕まり、景清の行方を追及される。白状しないため、景清の行方を詮議されて責められる小野姫(『出世景清』)は、趣を変えられ、歌舞伎の『壇浦兜軍記』のような阿古屋の琴責めの展開へと変化していった。景清を取り巻く娘人丸・愛人阿古屋・妻小野姫という女性陣の「逢いたい」という願い、思いを、和泉式部の恋の歌「今ひとたびの逢ふこともがな」に擬えて描いたものであると考える。阿古屋、小野姫は愛人や妻という立場であるため恋の歌であるこの歌に擬えられるの合っている。人丸は、娘ではあるが、二歳のとき生き別れた盲目になってしまった父に逢いたいと焦がれる思いは、情熱的な和泉式部のこの歌「あらざらん　この世のほかの　おもひ出に　今ひとたびの　逢ふこともがな」に、阿古屋や小野姫と同様に合うであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、この絵に描かれているのは景清である。和泉式部の歌に擬えられたのが人丸や阿古屋だったのなら、描かれるのは人丸や阿古屋だったのではないか。先ほど阿古屋と人丸が描かれた絵を提示した。阿古屋や人丸が絵に描かれるほど有名な人物でなかったのではなく、彼女らが描かれた絵は他にも沢山あるのである。それなのに景清が描かれているのは、この「逢ふこともがな」の歌に擬えられたのが、日向島まで来てくれた娘を追い返してしまった父景清の、娘に逢いたいという気持ちも表しているからではないかと考えた。和泉式部は、病床で死を予感しつつ、もう一度最後の逢瀬を願い、この歌を詠んだ。彼女の立場は、人丸や阿古屋というよりは、日向島に流された盲目の景清の方がよりしっくりくると考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回は更に、新たな仮説を立てて考察した。この「逢ふこともがな」が擬えているのは、怨敵源頼朝に逢いたいと思う景清の気持ちではないかというものである。&lt;br /&gt;
確かにそう考えてみると、絵のような険しい表情にも納得がいく。娘や愛する人に逢いたいという恋慕というよりは、仇の人物に会いたい気持ちを表していると考える方が、絵ともより合っていると考えられる。&lt;br /&gt;
近松門左衛門作の浄瑠璃「出世景清」などの、平景清を取り上げた多くの作品の中で、彼は、平家滅亡後も生き延び、源頼朝を討って恨みを晴らそうとしている。「出世景清」の“第一”の中では「ここに平家の一族悪七兵衛景清は、西国四国の合戦に討ち死にすべきものなりしが、死は軽くして易し、生は重くして難し。所詮命を全うして平氏の怨敵・右大将頼朝を一太刀うらみ、平家の恥辱をすすがんと、落人(おちうど)となり尾張の国・熱田の大宮司にいささかしるべありければ、ふかくしのびてゐたりけり」とある。この一文からも景清が源頼朝を狙っていたことがはっきり伺える。怨敵頼朝に会って一太刀報いてやろうとする景清の、必死な、執念のような想いをこの歌に擬えているのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
*参考文献&lt;br /&gt;
**宮柊二「小倉百人一首」学研　1979年11月　&lt;br /&gt;
**朝原美子ほか編「屋代本・高野本対照平家物語一」新典社　1990年5月&lt;br /&gt;
**朝原美子ほか編「屋代本・高野本対照平家物語三」新典社　1993年6月&lt;br /&gt;
**小宮暁子「歌舞伎名作事典」演劇出版社　1996年8月10日&lt;br /&gt;
**The Hundred Poets Compared - A Print Series by Kuniyoshi/Hiroshige/and Kunisada 2007,Henk J. Herwig/ Joshua S. Mostow,Hotei Publishing&lt;br /&gt;
**〔古典聚英９〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画　平成１４年（2002）,吉田幸一,笠間書院&lt;br /&gt;
**古井戸秀夫編「歌舞伎登場人物事典」　白水社　2006年4月&lt;br /&gt;
**「原色浮世絵大百科事典　第二巻　浮世絵師」銀河社　1982年8月&lt;br /&gt;
**「日本国語大辞典」&lt;br /&gt;
**「新訂・増補歌舞伎事典」平凡社　2000年1月&lt;br /&gt;
**長谷川強「西沢一風全集」　汲古書院　2005年10月 &lt;br /&gt;
**小林忠・大久保純一「浮世絵の鑑賞基礎知識」至文堂　1994年5月　&lt;br /&gt;
**「浮世絵事典《定本》上巻」画文堂　1990年10月&lt;br /&gt;
**廣橋研三「後拾遺和歌集」　和泉書院　1991年3月&lt;br /&gt;
**米田芳秋「アサガオ　江戸の贈りもの－夢から科学へ－」裳華房　1995年4月&lt;br /&gt;
**鳥越文蔵ほか「新編日本古典文学全集　近松門左衛門集③」小学館　2000年10月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
			&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>WikiSysop</name></author>
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