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	<title>Z0677-049 - 版の履歴</title>
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		<title>2025年5月7日 (水) 00:00にWikiSysopによる</title>
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		<updated>2025-05-07T00:00:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=総合=&lt;br /&gt;
小倉擬百人一首&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[画像:sZ0677-049.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
みかきもり衛士のたく火の夜はもえてひるはきえつつ物をこそおもへ　大中臣能宣朝臣&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歌意：宮中の門を守る衛士のたく火が、夜はもえて昼は消えているように、わたしの恋心も、夜になるともえあがり、昼は身も消えいらんばかりに思い悩んで、日夜物思いをしていることだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昔相州四ッ家の辺に神谷某といへる浪士の妻　夫の為に非命に世を去　一念種々の崇りをなせしが　一社の神に祝ひ祭りてその霊魂の鎮まりし事ハ普人の知所なり&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
絵師：歌川国芳&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彫工竹&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
版元：伊場仙&lt;br /&gt;
                                                                        &lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【題材】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「昔相州四ッ家の辺に…」や「神谷仁右衛門」の名前より、四世鶴屋南北の歌舞伎作品「東海道四谷怪談」及びそれに関連する作品群に題材をとっていると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【「東海道四谷怪談」】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・あらすじ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民谷伊右衛門はお岩の父四谷左門を殺し、仇を討ってやると偽ってお岩と祝言を挙げるが、産後の肥立ちの悪いお岩を疎ましく思うようになり、隣家の伊東喜兵衛と共謀して面相の崩れる薬をお岩に飲ませ、喜兵衛の孫のお梅と祝言を挙げる。それを知ったお岩は憤死し、様々な怪異を起こして人々を取り殺し、伊右衛門を追い詰めていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・関連作品群&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１７２７～１７５５年ぐらいに成立&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実録小説　『[[四谷雑談]]』　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１８３０年頃に流行。この作品ではお岩は疱瘡を患って元から醜い顔であったことになっている。お岩は性質も悪い悪女として書かれているが、伊右衛門は「四谷怪談」ほど悪ではなく、分別のある、普通の人物である。「田宮又左衛門の娘岩」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１７８８年（天明八年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
黄表紙　『[[模文画今怪談]]』唐来山人著、鳥文斎栄之画&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[四谷雑談]]』の記述をもとに書かれている。「間宮某の一人娘」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１８２５年（文政八年）七月　江戸中村座で初演&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[東海道四谷怪談]]」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『四谷雑談』や『模文画今怪談』を骨子に当時話題になった事件などを取り込み、「[[仮名手本忠臣蔵]]」ともからめて、それまで歌舞伎の中にあった怨霊事を発展させ、当時好まれた実録風をねらって作られた。&lt;br /&gt;
有名な提灯抜けの場面は、初演時には子を抱いた産女の亡霊の演出だったが、１８３１年８月の市村座の四度目の上演の時に提灯抜けへと変更された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１８２７年（文政十年）十月　奉行所に提出&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「於岩稲荷由来書上」四谷町方書上&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内容は『四谷雑談』と殆ど同じ。田宮伊右衛門屋敷跡に稲荷を勧請したところ崇りや怪異も止み、後に於岩稲荷と呼ばれるようになったということが書かれている。芝居上演から２年後に提出されたので、芝居をうけて提出されたものではないかと言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【考察】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
描かれている場面は、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」の中で今日でも有名な「提灯抜け」の場面であると思われる。当時の歌舞伎との関連であるが、民谷伊右衛門または神谷仁右衛門の役者絵などと比較した結果、誰とも似ていないので、おそらくこの絵は誰か特定の役者を描いたわけではない*。歌舞伎の場面を描いたにしては、この作品はどの場面を描いたのかはっきりとは分かりにくく、また「東海道四谷怪談」のシンボルとも言うべきお岩がはっきりと描かれていないのは不自然である。よって、この絵は歌舞伎の舞台ではなく、伝説・巷説の一場面として描いたものだと考えられる。柳下亭種員による説明も、あえて妻の名前は出さずに、絵柄や「四ッ家」といった地名などから推測させようとしている。また、歌舞伎作品には「一社の神に祝い祭りて」崇りが鎮まったということはどこにも書かれていない。これは「於岩稲荷由来書上」を受けたものであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次に、描かれている情景であるが、季節はおそらく夏だと思われる。仁右衛門の焚き火の炎が風で揺れ、上に吊ってある提灯を不気味に照らし出している。立ち上る黒煙は女の髪のようであり、提灯の破れ目は口のようでもある。また、縄暖簾や干してあるワカメ（？）も蛇のような形になり、今にも仁右衛門に飛びかかろうとしているように見える。その前では仁右衛門が驚いて腰を抜かしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
配布プリントでは、本歌で詠まれている恋心の激しさを、非命による女の恨みからの崇りに見立てているとあるが、それにしては絵があっさりしすぎてはいないだろうか。絵を見る限りでは、蛇は風のため、手のように見えるのは塀の破れ目から覗いたかぼちゃであり、提灯の顔はただの光の加減ともとれる。妻の怨念の激しさを表すなら、もっと凄惨でおどろおどろしい場面がいくつもあるはずなのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国芳は、「夜はもえてひるはきえつつ物をこそおもへ」で女の情念の激しさを詠っていると見せかけて、実は妻を死に追いやった罪悪感から、日夜疑心暗鬼にかられて妻の影におののく仁右衛門を表しているのではないかと私は考える。歌舞伎の有名シーンを使いながらも、歌舞伎作品とは距離を置いた描き方をしているのは、おそらく色悪として描かれている歌舞伎の伊右衛門ではなく、怨霊に怯える巷説の中の伊右衛門を描いているからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もう少し調べた結果、市川団十郎の絵が似ているように感じられた。おそらく、この時期の仁右衛門の巷に共通するイメージとして団十郎が用いられたのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考文献】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『日本説話伝説大事典』　勉誠出版&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『日本伝奇伝説大事典』　角川書店&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『新潮日本古典集成　東海道四谷怪談』　新潮社　1981年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『お岩と伊右衛門　四谷怪談の深層』　高田衛　洋泉社　2002年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『百鬼繚乱　―江戸怪談・妖怪絵本集成』「模文画今怪談」　近藤瑞木編　国書刊行会　2002年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『日本怪談集　江戸編』「四谷雑談集」　高田衛編　河出文庫　1992年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『常用国語便覧』　浜島書店　1999年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古典聚英９〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画&lt;br /&gt;
平成１４年（2002）,吉田幸一,笠間書院&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
			&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>WikiSysop</name></author>
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