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	<title>ArcUP0476 - 版の履歴</title>
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		<id>https://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php?title=ArcUP0476&amp;diff=62838586&amp;oldid=prev</id>
		<title>2025年5月7日 (水) 00:00にWikiSysopによる</title>
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		<updated>2025-05-07T00:00:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=総合=&lt;br /&gt;
== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;恋合　端唄づくし　浄瑠璃御前　源ノ牛若丸&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:ArcUP0476.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
画題：「[[恋合　端唄づくし]]」「浄瑠璃御前　源ノ牛若丸」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
絵師：[[豊国(三代目）]]落款印章：豊国(年玉枠)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出版年：万延０１（１８６０）・１０月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
版元名：若狭屋　与市&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上演年月日：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上演場所：江戸（[[見立]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
配役：源ノ牛若丸・・・中村芝翫（しかん）　　浄瑠璃御前・・・沢村田之助&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【詞章】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ひとこゑはつきが　ないたかほとゝぎす　いつしかしらむ短夜に　まだ寝（ね）もたらぬ　たまくらに男心は　むごらしい　女ごゝろは　そうじやないかたとき　あわねばくよ／＼とぐちな　心でないているわいな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「竹になりたやしちくだけ　もとは尺八　中はふゑ　すえはそもじの　ふでのじく　思いまいらせ候かしく　それ／＼そふじやへ &lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
=== 登場人物 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;源ノ牛若丸&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[画像:usiwakamaru.jpg|thumb| 「源牛若丸矢矧長者が許へ立寄給図」国芳画 ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　平安時代末期の武将である源義経のことである。牛若丸とは彼の幼名。鎌倉幕府を開いた源頼朝とは異母弟である。 平治の乱で父源義朝が敗死したことによって七歳で鞍馬寺へ預けられたが、一六歳の時に僧になることを拒んで奥州平泉へ下り、藤原秀衡の庇護を受ける。1180年、伊豆に流されていた兄の頼朝が挙兵すると（治承・寿永の乱）すぐさま京に馳せ参じ、一の谷、屋島、壇ノ浦の戦いにおいて天才的な軍事力を発揮して平氏討伐の最大の功労者となった。その後、頼朝の許可なく朝廷から冠位を受けたことなどで、義経が鎌倉へ入ることを許可しなかった頼朝と対立し、挙兵するも兵が集まらずに都落ちする。義経は再度奥州藤原秀衡を頼るが、秀衡が亡くなり後を継いだ泰衡が頼朝の義経捕縛の要求に屈し、身を追われた義経は藤原基成の衣川館（ころもがわのたち）にて泰衡らの攻撃を受け自害した。享年３１歳。優れた軍才を持ちながら非業の死に終わった義経の生涯は、人々の同情を呼び、このような心情を指して[[判官贔屓]]（ほうがんびいき）というようになった。史実上では自害したとなっているが、蝦夷地（現在の北海道）に逃れた説や、そこからさらに中国大陸に渡り、モンゴル帝国初代皇帝であるチンギス・ハンになったという伝説も後に生まれた。(&lt;br /&gt;
参考『鎌倉・室町人名事典』安田元久編　新人物往来社　１９９０.９）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;浄瑠璃御前&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
　浄瑠璃姫。平安後期に生まれた。御伽草紙「浄瑠璃物語」（浄瑠璃姫物語、浄瑠璃十二段、浄瑠璃十二段草子とも）の主人公であり、彼女の名が浄瑠璃の語源とされている。父は源兼高、母は矢作の長者と呼ばれた遊女。長い間子宝に恵まれなかった兼高夫婦が、普段より信仰していた鳳来寺の[[薬師瑠璃光如来]]に祈願して授かった子という霊験譚がある。（参考『浄瑠璃御前物語の研究』信多純一　岩波書店　２００８．８）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【幼少期の義経】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　源義経（当時は牛若丸）は七歳の時に鞍馬寺へ預けられ、寺を抜け出して奥州に向かうまでの約十年間をそこで暮らした。一五歳までは学問に精を出し、常に優秀であったが、少進坊（正門坊とも）という法師が寺へやってきて、彼から源氏代々の出来事を詳しく聞かされて以来、明けても暮れても平家打倒のことばかり考えるようになった。学問一途の日々から、身体を鍛え、武芸に励む日々へと変わり、鞍馬山本堂の裏山を越えて、貴船神社に至る僧正が谷が修練の場となった。そこは当時、世の中の乱れに伴い荒れ果てた場所となっており、妖怪変化が出没する場所として避けられていた。そこで武術の鍛錬をしていたことから、天狗を相手に剣術訓練に励んだという伝説が誕生した。浄瑠璃物語において、牛若丸が吹上の浜で姫と再会した場面において、姫が天狗の霊力を借りて矢矧に向かうが、これは鞍馬の天狗の伝説が関係していると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===  &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[浄瑠璃姫物語]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;　 ===&lt;br /&gt;
[[画像:matabee.jpg|thumb|浄瑠璃物語絵巻第四段　岩佐又兵衛作（ＭＯＡ美術館蔵）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;梗概&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
　承安4年（1174年）、当時１５歳であった牛若丸（源義経）は奥州平泉の藤原秀衝を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ兼高長者の豪華な邸宅の前を通りかかり、中の様子を窺っているとなんとも優雅な琴の音色が響いてくる。義経が笛を合わせると、 その音色に感じた浄瑠璃御前（浄瑠璃姫）は義経を中へ迎え入れ管弦や酒宴に楽しい一時を過ごす。一旦宿へ帰った義経だったが、姫の面影が忘れ難く、再び姫の邸宅へと忍び入る。言葉を尽くして言い寄る義経の求愛をついに姫も受け入れ、二人は一夜の契りを結んだのであった。&lt;br /&gt;
　しかし、間もなく義経は奥州へ向かって旅立たねばならず、姫に形見として名笛「薄墨」を授け、矢作を去った。奥州への道中、義経は蒲原宿（現静岡市）にて重い病に罹り、浜辺へ遺棄されてしまう。彼の危機を、源氏の氏神である八幡大菩薩のお告げによって知った浄瑠璃姫は、急いで浜へとたどり着き、義経の亡骸を抱きかかえて蘇生を祈願する。姫の懸命祈りは届き、息を吹き返した義経は、自らの身分を明かし、涙ながらに姫と別れ、再び奥州平泉へと下っていった。&lt;br /&gt;
　その後、姫が義経を想う心は日毎に募るばかりだったが、願えども成就することのない恋に耐えきれず、悲しみのあまり、ついに菅生川に身を投じて短い人生を終えた。三年後、義経は軍勢を催して上京する途中に姫の元を訪ねるが、姫はその時既に亡くなっており、尼となった冷泉に案内され、笹谷の墓を訪ねた。義経が供養すると姫は成仏した。その跡に寺を建立し、義経は再び平家討伐のため都へ上っていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
○浄瑠璃姫物語におけるその他の登場人物&lt;br /&gt;
・十五夜&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　月に寄せた侍女の名。夜更けに姫の館へ忍びこんだ義経の手引きをして、姫の元へ誘う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・冷泉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　浄瑠璃姫の乳母。姫の死後、出家して尼僧となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・金売吉次（かねうりきちじ）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　平安時代末期の商人で、奥州で産出された金を運び、京で商う事を生業としていた人物である。この人物は「義経記」にも登場する。源義経が奥州藤原氏を頼って奥州平泉に下る際に手助けしたとされる。史料にはこの人物の存在を裏付けるものは残っておらず、実在していたのかどうかは不明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;物語の成立期・作者問題&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
　本作の成立期・作者問題への言及は、江戸時代初めよりすでに行われていた。通説では[[小野通女]]が作者であり、十二段が原形であったとする見解がこの期には流布していた。江戸時代前期の俳人であり古筆鑑定家でもあった藤本箕山（きざん）は、草子『浄瑠璃』十二段に、文禄三年（一五九四）より滝野[[勾当]]が節付けして語り始めたのが起源だと『色道大鏡』巻七「翫器部」にて記している。また万治年間（一六五八～六一）の『猿轡』では新たに霊験的奇瑞による『やすだ物語』という作品の登場が示され、『浄瑠璃』の創始説に異が唱えられたが、いずれにしてもその起源については伝説の域を出るものではなかった。実際のところ作者は不明であり、成立は室町中期頃というのが現在の一般的な見解である。&lt;br /&gt;
（参考『浄瑠璃御前物語の研究』信多純一　岩波書店　２００８．８）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;浄瑠璃物語という名称&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
　浄瑠璃物語の刊本のうち最古のものは、東大に古活字本があり、慶長末（横山重氏説）とも寛永初め（木村仙秀氏説）ともいわれるが、題名は分からない。もう一つ前島春三氏の所蔵する古活字版は、元和寛永初めといわれるが、これも題名は不明である（柱記に「十二」とある）。しかし東大本の系統で、正保三年三月に杉田勘兵衛が刊行した本は安田文庫にあって、原題簽は「十二段上るり物語」となっていた。これと同版の、正保三年同じ杉田の刊本（京大蔵）は、原題簽はないが、内題は「しやうるり」となっている。写本で、最も古いと思われるものに、大東急文庫の奈良絵本があるが、題簽の「十二段草子」は元からのものかどうか疑わしい。横山氏の所蔵する絵巻は、安土桃山時代の作だが、原題簽は「しやうるり」となっている。以上の例から、浄瑠璃物語は元来単純に「じやうるり」と呼ばれていたのではないかと推測される。&lt;br /&gt;
　また、この物語において、横山氏の所蔵する絵巻は十六段であるが、他はすべて十二段になっている。これから浄瑠璃物語は「浄瑠璃十二段草子」などという名称が一般的になったのだが、物語の内容を十二段に分けるということは、室町時代の末期になって操りで上演されるようになってからのことである。操りの浄瑠璃物語が非常に人気を博した時に、内容が十二段に分けられていたところから、浄瑠璃の十二段といわれるようになった。「三壷聞書（みつぼききがき）」の慶長一九年の項には、「（加賀金沢）才川、浅野河原にて芝居を初め、をどり子、あやつり品々の見物場を立て、折々御城へ被召呼、[[吉松が立舞]]、[[あみだのむねわり]]、[[牛王の姫]]などいふ&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;浄るり&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;也。別して&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;浄瑠璃姫の十二段&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;、此の時分専ら盛に時行けば、山里までも口ずさみ・・・」とある。ここから分かることは、「浄るり」の名称は、浄瑠璃節という曲節の方を専ら指し、物語としての名称は、「浄瑠璃姫の十二段」となっている。即ち「十二段」は浄瑠璃物語の新しい名称になったわけで、これは操りの流行によるものであると思われる。　　　　（参考　「浄瑠璃」日本文学研究資料刊行会）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;十二段について&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
　前項でも記載したように、内容を十二段に分けるので、この称があるが、この分段は薬師の十二神にかたどったともされている。その段分けについて紹介しておく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一段　「浄瑠璃御前申し子の事」（申し子の段とも）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
二段　「花揃え」　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三段　「美人揃えの段」　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
四段　「外の管絃の段」　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
五段　「笛の段」　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
六段　「使の段」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
七段　「忍びの段」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
八段　「枕問答」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
九段　「大和詞」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
十段　「御座移り」　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
十一段「吹上」　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
十ニ段「御曹司東下り」&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 配役について ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
立命館大学アートリサーチセンターでは源ノ牛若丸が四代目中村芝翫であるという情報があったが、早稲田大学演劇博物館の浮世絵閲覧システムでは、この作品の源ノ牛若丸は初代中村福助であるとあった。中村福助とは四代目中村芝翫を襲名する前の名前であり、襲名した時期は万延元年（1860年）7月。&lt;br /&gt;
[[画像:hukusuke.jpg|thumb|「勢田夕之丞照長」中村福助　三代豊国画 ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・中村芝翫&lt;br /&gt;
  &lt;br /&gt;
  歌舞伎役者の名跡（みょうせき）。定紋は祇園守、替紋は裏梅。屋号は初代と二代目が加賀屋、三代目以降が成駒屋。時期から見てこの演劇の中村芝翫は四代目である。四代目中村芝翫は俗に「大芝翫」と呼ばれた名優であり、数々の浮世絵師を困らせるほどの美しい容貌と天下一品の所作事で絶大な人気を誇った。その名跡は七代目まで受け継がれ、現在に至る。七代目中村芝翫は今日の日本において重要無形文化財保持者（人間国宝）である。[[画像:sikan.jpg|thumb|「浪花次郎作　中村芝翫」三代豊国画 ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・沢村田之助&lt;br /&gt;
　歌舞伎役者の名跡。定紋は釻菊（かんぎく）、替紋は波に千鳥、屋号は紀伊國屋。俳名は曙山。この演劇における沢村田之助とは三代目の事である。三代目は美人の女形として人気があったが、後年脱疽（壊死）により四肢を切断。それでも舞台に立ち続けた名優としても知られている。また、この人物は二〇〇〇年より漫画が刊行され、二〇〇九年にテレビドラマ化され人気となった『ＪＩＮ-仁-』の中で重要な登場人物の一人として描かれている。現在その名は六代目まで受け継がれており、六代目沢村田之助もまた、七代目中村芝翫同様に重要無形文化財保持者（人間国宝）に認定されている。[[画像:sawamura.jpg|thumb|「女郎花姫　沢村田之助」三代豊国画]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（参照　『歌舞伎人名事典』野島寿三郎編　紀伊国屋書店　２００２.６）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
=== 作品について ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今回取り上げた作品の「恋合　端唄づくし　浄瑠璃御前　源ノ牛若丸」が実際に上演されていたかどうかは作品情報には記載されておらず、見立である可能性がある。しかし右下の浮世絵には、本作にも登場した三代目沢村田乃助扮する浄瑠璃御前が、舞台に立って演技をしている。この作品も三代目豊国のもので、出版年月日は「恋合　端唄づくし　浄瑠璃御前　源ノ牛若丸」よりも五か月前ではあるが、同じ万延０１年である。また、どちらの作品にも描かれている黒い棒状のものは、おそらく義経が所有していた名笛「薄墨」ではないかと考えられる。右の浮世絵の興業名は「忠臣晴金鶏（ちゅうしんあかつきのとり）」で所作題は「四季文台名残花（しきぶんだいなごりのはな）」 音曲は常磐津。万延０１年（１８６０年）５月５日に江戸の守田で行われた歌舞伎のようである。浄瑠璃御前が右手で握る笛の先には描かれてはいないものの義経がいることが想像できる。時期と歌舞伎の配役から見て、「恋合　端唄づくし　浄瑠璃御前　源ノ牛若丸」&lt;br /&gt;
は見立でなく実際の歌舞伎を描いたものであると考えられる。[[画像:gozen.jpg|thumb|「浄瑠璃御前」三代豊国画]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== まとめ ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今回扱った作品「恋合　端唄づくし」は非常に情報が少ないものだったが、これを手掛けた絵師三代目歌川豊国（歌川国貞）が浮世絵界に与えた影響と、彼が確固たるジャンルとして作り上げた歌舞伎と浮世絵のコラボレーションについてはこの作品の背景にある非常に重要な情報であると考える。また、この作品は浄瑠璃物語を元に作られた作品であり、今回は物語の変遷と内容について調べたが、同時に源義経の生涯をたどり、彼の生きた時代に沿ってもっと考察していけば&lt;br /&gt;
もっと研究になるのではと考える。&lt;br /&gt;
　他の浮世絵と比べると、源の牛若丸、浄瑠璃御前共に服装が優美に描かれているように思える。これは、歌舞伎に見立るにあたって歌舞伎役者を華やかに演出するためなのではないかと考える　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、今回この絵の場面や登場人物の表情についてなどは推測することができなかった。他の浮世絵との比較が課題である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
＜参考文献・サイト＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『原色浮世絵大百科事典　第四巻』原色浮世絵大百科事典編集委員会　大修館書店　１９８１．１１&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『くずし字用例辞典』　児玉幸多編　東京堂出版　１９８１．１１&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『浄瑠璃』日本文学研究資料刊行会　有精堂出版　１９８４．１１&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『鎌倉・室町人名事典』安田元久編　新人物往来社　１９９０.９&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『歌舞伎絵の世界』中山幹雄　東京書籍　１９９５．８&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『散文文学&amp;lt;物語&amp;gt;の世界』美濃部重克、服部幸造　三弥井書店　１９９５．８&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『古浄瑠璃説経集』信多純一、阪口弘之　岩波書店　１９９９．１２&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『日本国語大辞典第二版』小学館国語辞典編集部　小学館　２００１.１２&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『歌舞伎人名事典』野島寿三郎編　紀伊国屋書店　２００２.６&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『現代語で読む歴史文学　義経記』西津弘美訳　勉誠出版　２００４.６&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『義経伝説をゆく』京都新聞出版センター編、発行　２００４.７&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『物語の舞台を歩く　義経記』五味文彦　山川出版社　２００５.７&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『歌舞伎登場人物事典』古井戸秀雄編　白水社　２００６.５　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『源平合戦事典』福田豊彦、関幸彦編　吉川弘文館　２００６.１２&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『浄瑠璃御前物語の研究』信多純一　岩波書店　２００８．８&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・http://www5.plala.or.jp/iouji33HP438/sub20.html（閲覧日2001/5/24）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:kangen.jpg|thumb|「奥州浄瑠璃源氏十二段」貞秀画 ]]&lt;br /&gt;
[[画像:tengu.jpg|thumb|「浄瑠璃物語絵巻第十一巻」岩佐又兵衛作（ＭＯＡ美術館蔵）]]&lt;br /&gt;
[[画像:377.jpg|thumb|国芳「源牛若丸矢矧長者が許へ立寄絵図」『錦絵日本の歴史一　神々と義経の時代』　日本放送出版協会　尾崎秀樹・加太こうじ・時野谷勝　昭和５６年７月 &lt;br /&gt;
---------------------------------&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
			&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>WikiSysop</name></author>
	</entry>
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