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	<title>ArcUP0457 - 版の履歴</title>
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		<title>2025年5月7日 (水) 00:00にWikiSysopによる</title>
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		<updated>2025-05-07T00:00:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=総合=&lt;br /&gt;
== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;恋合　端唄尽　小むらさき　権八&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ==&lt;br /&gt;
[[画像:Gonhachi.jpg|thumb|]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
絵師：三代目[[豊国]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判型：大判錦絵&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
落款印章：豊国&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出版年：1860年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
版元：笹屋又兵衛&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改印：申六改&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
配役：権八…三代目市川市蔵　小むらさき…三代目沢村田之助&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上演年月日：蔓延元年（1860）閏三月三日「[[花摘籠五十三驛]]」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上演場所：江戸守田座&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
画題：恋合　端唄尽　小むらさき　権八&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===【題材】===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『花摘籠五十三驛』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『驪山比翼塚』&lt;br /&gt;
『[[浮世柄比翼稲妻]]』&lt;br /&gt;
『幡随院長兵衛一代記』&lt;br /&gt;
===【翻刻】===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[仇なゑがほ]]に　ついほれこんで　つまこふきじのほろゝにも　ちひろの海に雁金の言伝たのむ燕の便　うそならはんに[[皃鳥]]　見てとはがいの肌にいだきしめ　それなりそこへ　[[とまり山]]　うれしいしゆびじやないかいな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「すいな浮世を恋ゆへに　やぼがにくらすも心から　梅が香そゆる春風に　二まい屏風を押へだて　朧月夜の　うすあかり　しのび／＼てあいぼれのくぜつの床の泪雨池の蛙のよもすがら　しんになくでは　エヽ　ないかいな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あぢな事からついほれすぎて　そこの神さま仏さん　かなはぬ恋もかながき文　ことつてたのむ　まかせるたより　あはれぬつらさに　又のむ酒は　あたためもせずあおりつけ　其儘そこへひれふして　ふと目がさめりや　火の用心さつしやりましよう&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【現代語訳】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「かたきの笑顔についすっかり惚れてしまい　つがいを恋慕する雉の鳴き声でさえも　深い海へと雁金の言伝を燕のおとずれに頼っている　口笛に慣れようと容鳥を見てと翼を肌に抱きかかえ　それであるそこへ　最後まで連れ添って狩りをするため山中に宿る　嬉しい事のなりゆきじゃないか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「粋な浮世を恋を理由に　野暮に暮らすのも気分によるものだ　梅の香が伴う春風が二枚屏風を押してさえぎった　朧月夜の薄明かり　恋い慕いつづけて相思相愛だとか言い争いだとかで寝床にできた涙の池の蛙が一日中　偽ることもなく泣くことは　いいじゃないか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「乙な事からつい惚れすぎてしまい　そこの神様仏様　叶わない恋も仮名がきの文にして　言伝をあてにし手紙にゆだねる　会えない辛さから再び飲む酒は　あたためもしないで煽るように飲み　其の儘そこへ平伏して　ふと目がさめたものだなぁ　火の用心なさりましょう&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===【梗概】===&lt;br /&gt;
[[画像:komurasaki.jpg|thumb|豊国　1860・3]]&lt;br /&gt;
　平井権八（芝居では白井権八）は幼少期にはすでに剣のたつ若者として有名であったが、1672年鳥取にて父の同僚本庄助太夫を殺害したことにより、江戸に逃れる。その後、権八は素性を隠して忍藩阿部家に臨時の徒士（かち）として雇われるが、ある休日に吉原で藩主が旗本に因縁をつけられているのを救ったことから正規の徒士として取り立てられる。そのときの宴の席にいた遊女が小むらさきであった。馴染みとなった二人であったが、当時太夫であった小むらさきを揚げるのには大金が必要であり、権八は[[揚げ代]]のために吉原へ通う遊客を辻斬りするようになった。その数は１３０に上るとも言われるが、ついに指名手配となった権八は自首をし、故郷から江戸に護送される途中に小むらさきに会いに脱走を試みたが捕えられ処刑された。権八の処刑後、自分のために大罪を犯したことを知った小むらさきは目黒東昌寺の権八の墓前で自害する。その後、ふたりを哀れに思った東昌寺の坊主がふたりの亡骸を葬り、比翼塚を建てたといわれる。この比翼塚は現在も東京都目黒区下目黒３丁目で見ることができる。『驪山比翼塚』とは、かつて中国の玄宗皇帝が楊貴妃を招き入れた宮殿があった驪山を、権八と小紫の比翼塚がある目黒とに重ねあわせ、＜めぐろひよくづか＞と読まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===【登場人物】===&lt;br /&gt;
[[画像:ArcUP0179.jpg|thumb|国貞]]&lt;br /&gt;
[[画像:UT23-157A(3).jpg|thumb|豊国(1)]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆白井権八&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　本名は平井権八。（1655－1679）江戸前期の武士であり元因幡鳥取藩士。父の同僚であった本庄助太夫を斬り、江戸に逃げてくる。吉原の遊女、小紫となじみになるが金に困って辻斬りをはたらき、延宝７年１１月３日鈴ヶ森で処刑された。享年２５歳。幡随院長兵衛とよく結び付けられ、歌舞伎、浄瑠璃では白井権八の名で知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆小むらさき&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　生没年不詳。江戸時代前期の遊女。江戸吉原三浦屋の抱え。延宝７年（1679）愛人の権八が辻斬りなどの罪で死罪となったあとを追い、墓前で自害した。この話は[[幡随院長兵衛]]と関連づけられ、「驪山比翼塚」などの浄瑠璃、歌舞伎の素材となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===【配役について】===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆三代目市川市蔵&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1833-1865。2代目尾上多見蔵の次男。初め尾上市蔵と名乗るが、母が初代市川鰕十郎の娘であったことから絶えていた名跡の市川市蔵を襲名。1873年秋大阪座摩の宮芝居に兄と共に初舞台をふむ。「[[契情廓稲妻]]」に権八役で勤め大評判。その後病気となり1865年3月死去。大兵で男振りがよく、立役・敵役・女方を兼ねたが、8代目市川団十郎の俤（おもかげ）があり[[実事]]を最も得意とした。（『歌舞伎人名事典』日外アソシエーツ・1988）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆三代目沢村田之助&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1854-1878。五世宗十郎の次男。幼名由次郎。安政6（1859）年田之助を襲名。翌年春弱冠16歳で守田座の立女方となる、慶応初年に脱疽を病み手足を切断し、明治5（1872）年に引退。その後も舞台に立ったが、発狂して没した。立役を兼ねたが本領は女方で＜田の太夫＞と呼ばれた。（『歌舞伎事典』平凡社　2001・1）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;小紫のいでたちについて&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===【遊女小紫】===&lt;br /&gt;
[[画像:komurasaki3.jpg|thumb|国周　1867・3]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　小紫は新吉原京町一丁目三浦屋四朗左衛門抱の遊女である。歌舞伎や狂言だけでなく、現実面でも小紫は権八の愛人であったという。『洞房語園異本考異』（享保5年）には、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・三浦やには高尾・薄雲・濃紫、末に至りて総角（あげまき）などいへる有。いづれも名高き遊女也。扨（さて）高尾七代、薄雲三代、濃紫三代有りけり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・遊女とて操の正しき有。後年に三浦屋四朗左衛門が抱に濃紫といへる三代有。二代目濃むらさきは、賊平井権八と逢馴しが、……&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と記述されており、ここから小紫は濃紫とも言われていたことと、三代にわたり小紫という名前が続いていたことがわかる。また、今回題材として扱われているのは二代目小紫の話であることもわかる。江戸吉原では揚屋が14軒、茶屋が52軒ある中で、太夫は4人、格子16人、散茶501人、埋茶280人、五寸局430人、並局500余人いたとされている。（元禄14年調べ）小紫はこの一番上の格式である太夫とされていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===【服の文様】===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小紫が着ている着物に花の文様が描かれている絵が多いことがわかる。今回、文様のある小紫の絵を複数枚描いている絵師として、三代目豊国、一代目豊国、国周を探すことができた。また、三代目豊国以外の絵師の描く文様はよく似ており、三代目豊国だけまったく異なる文様を使用している。しかし三代目豊国がまだ国貞であった時代の絵には、一代目豊国らと同じ文様を小紫に用いていることもわかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆一代目豊国・国周&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生没年：明和六（1769）～文政八（1825）、天保六（1835）～明治三十三（1900）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出版年月:不明、1867年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文様：[[杏葉菊]]。また、国周の描いた文様は構図は杏葉菊によく似ているが花の花弁が四枚であることから[[四つ方喰]]の可能性も高いと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆三代目豊国&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生没年：天明六（1786)～源治元(1865）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出版年月：1860年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文様：[[紀伊国屋]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===【髪型・髪飾り】===&lt;br /&gt;
[[画像:C0000197.jpg|thumb|鳥居清長　当世遊里美人合＿たち花]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明暦3年の明暦の大火により、移転を余儀なくされた吉原は移転後の万治、元禄期（17世紀末）はゆるく束ねた程度の「兵庫髷」が主体で、太夫ですら櫛や簪を挿してはいなかった。太夫の名が由来の「勝山髷」も、櫛と簪を一つずつ挿した普通の結い方であり、町の女性もよく真似ていたとされる。&lt;br /&gt;
錦絵などでよく目にする「横兵庫」が登場するのは江戸中期からであり、1800年前後より遊女の髪型を代表するものとなり、次第に髷が大きくなり、簪の数も増えていく。いわゆる「後光」と呼ばれる、簪や櫛を前にも後ろにも放射状に挿す姿は文化期（1810年頃）に現れたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
髪型：一代目豊国、国貞…[[島田髷]]、後光&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　三代目豊国、国周…[[勝山髷（丸髷）]]、髪飾りは簡素、水平に挿されている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時代が進むにつれ、髪飾りが華やかになっていくはずであるのに対して、活動期がより昔である一代目豊国と国貞の絵の方が髪飾りが豪華になっていることがわかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;絵のシーンについて&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小むらさきが口にくわえている紙であるが、これは懐紙ではないかと考える。懐紙とは、現在では懐石料理を食べるときに汚れを拭いたり食べ残しを隠したりするのに使われるマナー用品として使われることが多いが、かつては和歌を書く紙として歌人たちが懐に常備していたことから懐紙と呼ばれていたものである。また、江戸時代の娘には日常品として使用されていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小二田誠二「平井権八伝説と実録・読本」において小二田が「権八一代記」をシーン別に分けている内容を見ると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・権八は処刑の時、小紫と作ったという「八重梅」を唄う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というシーンがあることが分かる。[http://www.jkn21.com/stdsearch/displaymain ジャパンナレッジプラス日本国語大辞典]によると【八重梅】の項目にはこう書かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【八重梅】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地歌。長歌。二上り。市川検校作詞・作曲。元祿時代（一六八八～一七〇四）の流行歌を取ったものか。平井権八が処刑の場で歌ったものが有名。＊歌謡・松の葉〔１７０３〕二・八重梅「梅が咲けがし、いよやへむめが、枝を枝を手折るふりして」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
右リンク先が「[[八重梅]]」の全引用である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように物語における「八重梅」の存在と、小むらさきが画の中でくわえている懐紙との関係を考慮すると、ふたりが歌を作っている場面が恋合端唄尽に描かれているのではないかと考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;まとめ&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三代目豊国の小紫絵に頻繁に描かれている紋様は、沢村宗十郎一門を示す歌舞伎紋であった。沢村田之助が小紫を演じたのは「花摘籠五十三驛」でのみであり、豊国は沢村田之助が演じる小紫を多く描いていることから、「花摘籠五十三驛」というひとつの演目から非常に多くの作品を生み出していることがわかった。&lt;br /&gt;
また、一代目豊国と国貞は髪飾りを華美に描いているのに対し、三代目豊国と国周は簡素に描いている。このことは、上演当時の歌舞伎の華やかさに重点を置くか、小紫太夫が実在していた1700年頃は太夫でも簡素な髪飾りしかしていなかったという時代背景を踏まえた演出に重点を置くのかの違いではないかと考えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後の課題としては、紀伊国屋の紋様が頻繁に使用されている意味はわかったが、並んで杏葉菊の紋様が使用されている理由を判明させることはできなかった。また、小紫同様、権八についても絵師・時代によって差異が見られるはずである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国立国会図書館デジタルアーカイブポータル（http://porta.ndl.go.jp/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京国立博物館情報アーカイブ（http://webarchives.tnm.jp/archives/img/searchform&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『日本人名大辞典』講談社　２００１・１２・６&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歌舞伎研究用データベース（http://www.arc.ritsumei.ac.jp/dbroot/kabuki.htm&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『歌舞伎年表第七巻』岩波書店　昭和三七・三・三一&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『歌舞伎事典』平凡社　2001・1&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『歌舞伎人名事典』日外アソシエーツ・1988&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奈良文化財研究所, 東京大学史料編纂所　木簡字典・電子くずし字字典データベース（http://r-jiten.nabunken.go.jp/index.html&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中野栄三『遊女の生活』雄山閣出版　平成8・6・20&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上村行彰『日本遊里史』藤森書店　昭和4・9・15&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内田保廣「馬琴と権八小紫」『近世文芸』日本近世文学会 笠間書院　1978&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西山松之助・小森隆吉・宮本由紀子『日本史小百科9　遊女』近藤出版　昭和54・9・30&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千鹿野茂『都道府県別姓氏家紋大事典東日本編』　2004・6・15&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
凡平『志ん生で味わう江戸情緒②江戸の花街「遊廓」がわかる』加藤文明社　平成17・9・1&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『原色浮世絵大百科事典』　大修館書店　1981.11&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千鹿野茂『家紋でたどるあなたの家系』平文社　平成七・二・二五&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小二田誠二「平井権八伝説と実録・読本」『日本文学』日本文学協会　1994・2&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
			&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>WikiSysop</name></author>
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