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	<title>5714-C041 - 版の履歴</title>
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		<title>2025年5月7日 (水) 00:00にWikiSysopによる</title>
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		<updated>2025-05-07T00:00:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=総合=&lt;br /&gt;
==&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;江戸土産浮名のたまづさ あふぎや夕ぎり　藤屋伊左衛門&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;==&lt;br /&gt;
[[画像:5714-C041.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
画題：江戸土産浮名のたまづさ あふぎや夕ぎり　藤屋伊左衛門&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
絵師：３代目豊国&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判型：大判／錦絵&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
落款印章： 好にまかせ七十九歳豊国画　←筆？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
版元名：近江屋　久次郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
改印： 子二改 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上演年月日：元治０１(1864)・０２&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上演場所：江戸&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
⇒ここでは江戸で上演されたとなっているが、『歌舞伎年表』を見ると、元治１年にこの配役での上演は記載されていない。つまり、この作品は見立てであると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
配役：あふぎや夕ぎり…市川　新車　　藤屋伊左衛門…坂東　彦三郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;〈題材〉&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[廓文章]]←原作[[夕霧阿波鳴渡]]／[[夕霧阿波鳴渡②]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;〈概要〉&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新町扇屋の夕霧になじみ、大尽遊びの全盛を謳われた藤屋の伊左衛門も、ついには七百貫目の借金を負い、親の勘当を受けて零落した。伊左衛門は、師走も詰った一日、夕霧に逢いたくて落ちぶれた姿を紙子に包み、編笠に顔を隠して新町の吉田屋へ来た。そして主人喜左衛門夫婦の手厚いもてなしに心を温めたが、夕霧には阿波の大尽が客になっているという話を聞かされた伊左衛門は、その不実を責めるが、やがて疑いは晴れて互に手を取合う。折から伊左衛門の勘当は許され、夕霧身請の金が運ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈出典：『歌舞伎名作事典』金沢康隆　昭和34年9月15日　青蛙房〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;〈登場人物〉&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;夕霧&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大坂新町の名妓夕霧太夫（？－1678）がモデル。もと京都島原の宮島甚三郎抱えの遊女だったが、同廓の扇屋四郎兵衛が寛文十二（1672）年に大坂新町へ移る時、扇屋抱えとなって下坂した。聡明で諸芸に通じ、立ち居振る舞いはしとやかであったという。延宝五（1677）年秋から病気となり、全盛を惜しまれながら翌六年正月六日没。享年は二十七とも二十二ともいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
⇒『廓文章』もしくは『夕霧阿波鳴渡』では、身請け金が届き無事に伊左衛門と結ばれる。つまりはハッピーエンドであるが、実際にこの話のモデルとなった夕霧には、身請けされたなどの事実を確認することが出来なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;藤屋伊左衛門&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
藤屋伊佐衛門は架空の人物。夕霧に深く馴染んだ大坂の阿波屋某という大金持ちをモデルにしたもの。病になった夕霧を世話し、死後も厚恩を掛けたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈出典：『歌舞伎登場人物事典』白水社　2006年5月10日〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;〈配役〉&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;市川　新車（初代）&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市川門之助（5代目）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歌舞伎役者　文政4年（1821）～明治11年9月12日（1878）　享年58歳&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
江戸東両国の料理屋青柳喜三郎の子。初め5代目瀬川菊之丞の門人となり瀬川路太郎を名乗る。（中略）弘化2（1845）年江戸にもどり、7代目市川団十郎の門人となり市川新車と改め正月河原崎座「魁源氏曽我手始」に勤める。（中略）明治3（1870）年2月市村座「宝来曽我島物語」に5代目市川門之助を襲名、12月栃木芝居に勤める。時代物と世話物に適し、女房役・老女役に長じたが、容姿にすぐれ音調が高く女らしさが少なく、晩年には立役として勤めた。古来の名役者の型を記憶していて9代目市川団十郎をはじめ多くの役者が指導を受けた。また、文人として書・俳諧を愛好した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;坂東　彦三郎（５代）&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歌舞伎役者　天保3年（1832）～明治10年10月13日（1877）　享年46歳&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浅草寺地中某院地内に住む大工為蔵の子とも、歌舞伎作者村冠二（柑子）の弟とも云われる。天保11（1840）年春坂東佐十郎の引立てで4代目坂東彦三郎の養子となる。坂東鶴之助と名乗り養父について修行。安政3年3月市村座「鶴松扇曽我」に5代目坂東彦三郎を襲名し女牛若と源之丞の2役。（中略）明治10年5月大阪中の芝居「娼鼓誠開花夜桜」金瓶楼今紫役が名残の舞台となる。風姿・口跡がよく、かつ上品で、すべての役に熟し、武道事・実悪・女方を演じては三都随一の名人と云われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈出典：『歌舞伎人名事典』野島寿三郎　1988年9月26日　日外アソシエーツ〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;〈「廓文章」と「夕霧阿波鳴渡」の違い〉&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;－物語の変遷－&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本名題は「夕霧阿波鳴渡」別に「廓文章」「夕霧　伊左衛門　曲輪障」であり、通称を「吉田屋」、「夕霧伊左衛門」という。世話物、三段であり、作者は近松門左衛門である。正徳2年（1712）正月ごろ竹本座で人形浄瑠璃が初演された。「廓文章」は「夕霧阿波鳴渡」吉田屋の段の改作であり、こちらの人形浄瑠璃での初演は、寛政5年（1793）5月大坂大西の芝居である。歌舞伎での初演は、文化5年（1808）10月江戸中村座である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大坂新町の名妓夕霧は、延宝6年正月6日、27歳の若さでこの世を去った。芝居では早速その事績を脚色し、翌2月3日から大坂道頓堀の荒木与次兵衛座で「夕霧名残の正月」を上場、追悼した。藤屋伊左衛門には坂田藤十郎、夕霧に霧浪千寿が扮したが、藤十郎の伊左衛門は無上の大評判で、その出世芸となっている。そして、年内に4回繰返されたばかりか、一周忌・三年・七年・十三年・十七年忌と、藤十郎の生涯に十八回も繰返し上演されたほどの人気であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、近松には夕霧の七年忌を当込んで「夕霧七年忌」の作があったが、九回忌にはじめて浄瑠璃として「三世相」を脚色した。これは夕霧の死後、その娘をめぐる夢幻的な成仏物語である。そして、これらを承けて、ついに「夕霧阿波鳴渡」の劇作が完成し、後世にのこる夕霧狂言の基準を定めたのである。上巻の「吉田屋」が、ここにいう「吉田屋」の原拠となっているのであって、その他、後世の歌舞伎や浄瑠璃の夕霧劇はすべて、この「夕霧阿波鳴渡」に出発している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元来上方狂言であるが、江戸には江戸独自の演出も存在している。大阪系として中村鴈治郎によって代表される型の他に、片岡仁左衛門の型がある。江戸系としては、15代目市村羽左衛門に代表された音羽屋型があり、戦後7代目沢村宗十郎が見せて和事の極致とまでいわれた沢村宗十郎の型がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈出典：『歌舞伎名作事典』金沢康隆　昭和34年9月15日　青蛙房/『歌舞伎登場人物事典』白水社　2006年5月10日〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;－内容の差異－&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「廓文章」は「夕霧阿波鳴渡」の吉田屋の段の改作であり、夕霧と伊左衛門の子供の源之助については深く触れられていない。云わば、夕霧と伊左衛門の二人の間に生じた痴情のもつれに重きを置いた作品となっている。親子の情などが削除されている為、「廓文章」の方がより一層「恋愛」という題材を強調していると思われる。また、近松が書いた「夕霧阿波鳴渡」は世話物であり、時代物よりも登場人物を魅力あるものにしてあると考えられる。そこで、伊左衛門が吉田屋へ入る場面や夕霧を待っている間の場面などが個性的に描かれ、伊左衛門という人物を魅力あるものへと変容させている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;〈「江戸土産浮名のたまづさ」の場面について〉&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回扱った作品は、「廓文章」の中の夕霧に対して伊左衛門が不実を詰るのを、夕霧が説得している場面だと推測する。伊左衛門が紙子姿であること、夕霧が紫の病鉢巻を巻いていること、また、伊左衛門が火箸らしきものを握っており二人が見つめ合うなどの中睦まじい雰囲気ではなく、伊左衛門が夕霧に対してそっぽを向いているような格好であることが、理由として挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|[[画像:ArcUP0267.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
|[[画像:101-2604.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
|[[画像:006-2857.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
|[[画像:500-2346.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
|[[画像:ArcUP0539.jpg|thumb]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
左から順に、物語は進んでいく。1枚目は、伊左衛門が零落し編笠に紙子姿という姿と背景から、吉田屋を訪れている場面である。若衆と吉田屋の主人は見受けられないが、伊左衛門が編笠を手に持っていることから、吉田屋に入る直前の場面だと推測される。2枚目は、吉田屋に歓迎され、夕霧を待ち構えている伊左衛門の場面だと考えられる。3枚目は、ようやく再会を果たした二人だが伊左衛門が夕霧の不実を詰り、夕霧に対し暴力を振るう場面である。4枚目は、3枚目の後、夕霧が誤解を解こうと伊左衛門を説得している場面だと考えられる。今回、取り扱った「江戸土産浮名のたまづさ」の場面に最も似ているものである。5枚目は、春画であるが、書かれている文章から仲直りをした後の場面だと思われる。だが、夕霧が病鉢巻を巻いていない点と伊左衛門が紙子姿でない点を見ると、話の流れ上辻褄が合わないので、「廓文章」には描かれなかった後日談的なものもしくは、「夕霧阿波鳴渡」の方で描かれている話の影響を受けていると思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;〈近松世話浄瑠璃における身請け金〉&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
換算基準：酒一升の値段（一升＝二千円）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の物価は「越後屋呉服店　小遣目録」による。元禄八年の、金一両＝銀六十匁＝銭四貫文とする相場は、年によって変動するが、金銀銭の換算は、この相場によった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
→大まかにいうと近松時代の換算率は、一両十万円弱&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【身請け金】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・淀鯉出世滝徳　　　　･･･２００両（残金）→２４００万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・冥途の飛脚　　　　　･･･３００両/１６０両（身請け金）→２９４６/１５７０万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・博多小女郎波枕　　　･･･１５００両（七人）/一人当たり→５４８２/７８３万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;夕霧阿波鳴渡　　　　･･･２０００両→１億８３４８強&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・長町女腹切　　　　　･･･２０両→１８３万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・山崎与次兵衛寿の門松･･･１０００両→３６５５万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・心中重井筒　　　　　･･･４００匁→６４万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・心中刃は氷の朔日　　･･･７両（身請け金）/４両２分（火急の金）→７０/４５万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・心中天の網島　　　　･･･７５０匁（半金）→１２０万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【殺人】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・女殺油地獄　　　　　･･･２００匁→２０万円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈出典：『近松門左衛門集①』（「新編日本古典文学全集」）1997年3月20日　小学館〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
⇒以上の例を見ると、太夫である夕霧に対する身請け金が他の者とは桁違いの値段であるという事が見て取れる。また、今回身請け金とは違う「女殺油地獄」の２０万円を例に挙げたが、これは２０万円という金額で殺人事件が起きてしまっている。それに比べ、「廓文章」の場合は約２億円という高額にも関わらず、ハッピーエンドで終っている。近松作品にも、数多くの遊女に対する身請け金が話の中核を担うものが見られることから、身請けなどは現実離れしたものではなく実際に行われていたことが分る。しかし、金額を考えると現実的ではなく、極めてフィクション性が高い作品であると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;〈心中でない結末〉&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「心中」とは、『日本国語大辞典』によると&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
②まごころを尽くすこと。人に対して義理をたてること。特に、男女のあいだで、相手に対しての信義や愛情を守りとおすこと。真情。誠心誠意。実意&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
③相愛の男女が、自分の真情を形にあらわし、証拠として相手に示すこと。また、その愛情の互いに変わらないことを示すあかしとしたもの。起請文（きしょうもん）、髪切り、指切り、爪放し、入れ墨、情死など。遊里にはじまる。心中立て。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
④（─する）相愛の男女が、合意のうえでいっしょに死ぬこと。相対死（あいたいじに）。情死。心中死（しんじゅうじに）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈japanknowledge:http://www.jkn21.com/stdsearch/displaymain〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;－情死の歴史－&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古代から中世にかけては心中の記録はあまり見られないが、江戸時代になると一気に増加している。貞享年間（1684～1687年）には、各地に心中者が続出した。江戸ではなく、上方・京阪地方に多く、農民や武士階級ではなく、商人が遊里の女を相手に心中するというのが特徴的である。また、西鶴や近松などが心中物を取り上げ、盛んに浄瑠璃などで演じられることにより、心中が爆発的ブームを起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしこの社会的風潮、つまり心中ブームを収めるべく、徳川政府は心中を厳禁して下記の法律を施行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　不義にて相対死いたし候もの、死骸取り拾て弔うことをなし申すまじく候。ただし一方存命に候わば下手人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、心中した者達はそのまま人目にさらし、弔うことを禁じたものである。また、生き残ったものは殺人罪として処罰、それが男であるときは死罪、女であった場合は良民の籍から追われて非人となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、大岡越前守は、心中者は人間でなく、畜生と同じことだから、衣類をはぎ取り、丸裸のまま捨ておけと命令している。そのため江戸は日本橋、大坂は千日前の火葬場近くで晒し者にされたが、見物人が急増した為、晒すことを取りやめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈出典：『情死の歴史－陰の日本史－』邦光史郎　昭和55年1月25日　日本書籍〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*1723年〈享保8　癸卯(みずのとのう)〉&lt;br /&gt;
2・‐ 幕府、相対死(心中)の刑罰を定め、またこれを絵双紙や芝居にすることを禁じる(御触書寛保集成・実紀)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈japanknowledge:http://www.jkn21.com/stdsearch/displaymain〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;－金による解決－&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ====&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記したように心中する者の特徴として、商人と遊女が挙げられる。金銭面で窮した男と、それに付き合う遊女というような構図である。しかし「廓文章」では、男が金に窮しても姿をくらますだけで心中しようとはしない。零落し、金は無かった伊左衛門であるが、最終的には金銭面でも身分的にも問題が金によって解決されている。また、心中が禁止されていた時代であり、心中という結末には至らないが、上記の『日本国語大辞典』の②の意味で相手に対して信義や愛情を守り通すこと、という意味においては心中物と考えられるかもしれない。心中をして、あの世で幸せになるかこの世で幸せになるかの違いではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;〈まとめ〉&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回取り扱った「江戸土産浮名のたまづさ　あふぎや夕ぎり　藤屋伊左衛門」は、夕霧に市川新車、藤屋伊左衛門に坂東彦三郎という配役であるが、上記したように、そういった記録は無く見立ての絵である。しかし、この作品自体は非常に人気が高く他の者による上演が度々見られた。場面としては、夕霧が伊左衛門の誤解を解こうとしている場面であると上記では記したが、久々に再会出来たことに喜び、伊左衛門に寄り添うという、蹴られる以前の場面でもあるとも考えられる。実存した遊女である夕霧の人気にあやかって、ここまで人気を博した作品であるとも考えられるが、実話ではないと思われる。「夕霧阿波鳴渡」よりも「廓文章」の方がより恋愛色が濃いと思われる。これは、高い人気を博し様々な男達を魅了した夕霧であっても、只の一人の女であり、その人気故に身請け金が高額となり身請けされる可能性が低く、一人の女に戻ることのないままこの世を去った夕霧に対する近松の願いが反映されているのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この「廓文章」は、数多くの作品が変化してきたものであり、また、歌舞伎に関しても多くの型が存在している。今回は深く追究することが出来なかった為、この二点が今後の課題である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
			&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>WikiSysop</name></author>
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