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	<title>012-0507 - 版の履歴</title>
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		<title>2025年5月7日 (水) 00:00にWikiSysopによる</title>
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		<updated>2025-05-07T00:00:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=総合=&lt;br /&gt;
東海道五十三對　[[岡崎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:012-0507.jpg|thumb|]] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【翻刻】[[矢矧]]の宿&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古の駅宿なり　昔牛若丸奥刕の下向の折から爰に逗留ある　矢矧の長者が娘浄瑠璃姫に深思われ　比翼の契浅からざりしか　望有身と旅路に赴く　姫は別れを惜つゝ遂に館を忍び出　あとへしたひてたどりしが　道にてはからずむなしく成ける　この姫いまだ世にある時十二段の物語に音節付けて諷べける　是浄瑠璃の初なり　今西矢矧に其塚有&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
絵師：広重&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
版元文字：伊場久兵衛&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【題材】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[浄瑠璃姫十二段草子]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
①矢矧の長者夫妻は長い間子宝に恵まれず、鳳来寺薬師如来に祈願したところ珠のような女の子が生まれた。[[浄瑠璃姫]]と名付ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
②1174年、都で平家が隆盛を極めるなか、鞍馬山で育った[[牛若丸]]は藤原秀衛を頼り奥州へ下る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
③源氏の再興を誓い、金売り吉次の部下として身分を隠して旅を続ける牛若丸一行は、道の途中で矢矧の宿に到着する。そこで美しく成長した浄瑠璃姫に出会う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
④夜、牛若丸は一室から聞こえてきた浄瑠璃姫の奏でる美しい琴の音に心惹かれ、持っていた笛（薄墨）で吹き合わせたことから、牛若丸と浄瑠璃姫は契りを交わす。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
⑤浄瑠璃姫と恋仲になったはいいが、牛若丸には源氏再興の使命があったため、遠く奥州に旅立たなければならず、別れを惜しむ浄瑠璃姫に名笛薄墨を残して矢矧の宿を去る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
⑥a.牛若丸が去った後、浄瑠璃姫は身分のわからない冠者（牛若丸は浄瑠璃姫に身分を明かしていない）と契ったことを母に咎められ、侍女れんぜい（冷泉）と二人柴の庵で暮らすことになる。しばらくして、浄瑠璃姫は牛若丸が旅の途中に[[蒲原宿]]、駿河国吹上の濱で奇病にかかり危篤、金売り吉次に捨てられて困しむのを源氏の氏神八幡大菩薩のお告げによって知ることになる。浄瑠璃姫は驚き、遂に決意し冷泉のはからいのもと海道を下り、吹上の濱の砂中から病死した牛若丸を尋ね出し、日本国中の神々に祈り辛うじて蘇生させる。牛若丸はここで初めて浄瑠璃姫に身分を明かし、互いに形見を取り交した後、姫主従は牛若丸の呼び寄せた大天狗小天狗の神通力で瞬時に矢矧宿に送り返され、再び義経は東下りの旅を続けた末、奥平泉秀衡の館へと入った。→義経の吹き上げの浜の蘇生譚&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　b.浄瑠璃姫は牛若丸を想う心が晴れず、ついに牛若丸を追って奥州へと向かうが、女性のか弱い足で牛若丸に追いつけることはなく、その報われない恋の悲しみのあまり菅生川（乙川）に身を投げて死んでしまう。→浄瑠璃姫の入水譚&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　c.奥州下りの途中吹上浜で死んだ義経を蘇生させた浄瑠璃姫は、牛若丸と形見を取り交わし、自分も奥州へついて行くと泣き縋ったが、必ず三河に戻るという牛若丸の言葉を信じ、牛若丸と別れる。しかしその後、浄瑠璃姫の悲しみは日に日に深まり、とうとう三河の国へ帰る気力も失せ、吹上の地に病で臥し、冷泉の看病も虚しく死んでしまう。→aの義経の吹き上げの浜の蘇生譚のその後&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
室町時代に成立したとされる語り物文芸『浄瑠璃物語』（『言経卿記』(天正十六年)九月一日の条に山科言経が貸していた「上ルリノ本」が返ってきたを記してある）には成立以後多くの諸本が残されており、後半の構成に異動が多く見られるが、特に、室町時代末期、江戸時代前期に成立したと思われる『しやうるり』『しやうるり御せん物語』『上瑠璃』などの諸本には、『浄瑠璃物語』の主部とされる浄瑠璃姫と義経の恋愛説話の、後日譚ともいうべき「義経の、吹き上げの浜の蘇生譚」「浄瑠璃姫の入水譚」といった特殊な伝承をもつ本文を有している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『浄瑠璃物語』は、翻刻にもある通りその後浄瑠璃として一文化を形成・成長し、江戸時代には浄瑠璃は近松門左衛門や竹本義太夫の力を得て人気の娯楽となった。その浄瑠璃の名称の元となった『浄瑠璃物語』も、当然のように浄瑠璃で描かれ、歌舞伎の世界でもこの物語は取り上げられるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように読み物としてだけでなく、浄瑠璃や歌舞伎として後々話が付け足され成長していく中で、江戸時代に浄瑠璃や歌舞伎で描かれる浄瑠璃物語には、牛若丸を思う余りの「浄瑠璃姫の死」が欠かせない要素となってきたようだ。そしてその死には、それを史実上あったこととするように、彼女を悼む塚や墓の存在が必ずと言っていいほどついてくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ex.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・姫は、御曹司恋しやとその恋風が積もり来て、無情の風のやまふの床、終に果敢なくなり（近松門左衛門作『源氏れいぜいぶし』）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『勲功記』(文化十一年(1814))の浄瑠璃姫も御曹司を恋い侘びて病死している。『東海道名所円会』には「浄瑠璃姫の塚」を載せ、『三才円会』の「冷泉寺」の條にも、義経出立後、再会の期無きを悲しみ、菅生川に投身したので、侍女冷泉が尼となって、供養の為阿弥陀堂を建てたのがそれであるとし、西村白鳥の『煙霞綺談』（巻一）には、岡崎附近の大平川の辺に在る禅寺成就院が冷泉の開基で、浄瑠璃姫入水の地は此処としてある。（引用：島津久基『義経伝説と文学』）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈[[浄瑠璃姫の墓に関係する場所]]〉&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【塚】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[浄瑠璃姫墳]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【[[浄瑠璃]]】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・『浄瑠璃姫物語』に関する浄瑠璃作品&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
孕常盤 宝永０７年(1710)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
源義経将棋経　正徳０１年(1711) &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
源氏れいぜいぶし　正徳０４年(1714)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浄瑠璃姫長生殿　文化１４年(1817)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
常盤物語&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・義経物の古浄瑠璃の例&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『たかだち五段』、『いづみがじやう』、『一の谷逆落』、『吹上秀衡入』、『きよしげ』、『牛王（ごわう）姫』、『安宅高館』、『ふきあげ』など &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・近松作品の義経物の浄瑠璃の例&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『門出八島』、『凱陣八島』、『烏帽子折』、『十二段』、『源氏烏帽子折』、『源義経将棋経』、『吉野忠信』、『源氏冷泉節』、『孕常磐』、『■（歹＋粲）静胎内拾』、『俊寛牛若平家女護島』など&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（参考・引用）http://www.st.rim.or.jp/~success/simazu_jo04.html#3&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように、浄瑠璃姫伝説を含む「義経物」と呼ばれる源義経に関する伝説や物語を題材にした作品が江戸時代には多く作られ、上演されている。義経に関する伝説は『義経記』や『平家物語』、『源平盛衰記』、『平治物語』、『太平記』等によって既に室町期に形としては成立しているが、義経文学の量として最も多いのは江戸時代である。江戸時代、義経物は、室町期の伝説を下敷きに文学化、戯曲化、劇化していったのだと言える。この意味で、江戸時代は義経文学の最盛期と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【考察】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
①なぜ岡崎に『浄瑠璃姫物語』を選んだか？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この浄瑠璃姫と義経の物語は、義経紀になどは記載が無く、史実としての根拠には乏しいが、人々の間で伝説としてまことしやかに伝わり続けていたことは事実であろう。 &lt;br /&gt;
義経に関する伝説は室町時代に形が整い、江戸時代になると爆発的にそれを題材にした作品が増えてくる。浄瑠璃・脚本（歌舞伎狂言）・浮世草子・読本・草双子（赤本・黒本・青本・黄表紙・合本）など分野は多岐に渡り、ただの伝説がますます文学化、戯曲化、劇化した意味で、江戸時代は義経伝説が流行りに流行った時期だと言える。（参考：島津久基『義経伝説と文学』）また同時に、同じことが浄瑠璃にも言えるであろう。浄瑠璃も、江戸時代に多くの作品が作られ、人々の間で流行し最盛期を迎えた。そのため、この東海道五十三對を作成するにあたって、岡崎に、義経と浄瑠璃というふたつのカリスマ性を備えた『浄瑠璃物語』を題材に描くことはなんの疑問も無いだろう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
②なぜ『浄瑠璃姫物語』のこのシーンを選んだか？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
牛若丸が当時英雄として人気があったのならば、牛若丸が浄瑠璃姫の元へ会いにいくシーンや、笛と琴を弾きあうシーンなど、牛若丸と浄瑠璃姫が直接的に絡む場面を描き込めばよいと思ったのだが、実際に描かれているシーンは、門からひっそりと外に出ようとする浄瑠璃姫と、それを手伝うようにそっと寄り添う女性（冷泉だと考えられる）の様子である。 &lt;br /&gt;
私の推測の域を出ないが、この場面を描いた理由には、翻刻にある「塚」の存在が大きく影響しているのではないだろうか。 &lt;br /&gt;
翻刻にある通り、矢矧には「浄瑠璃姫の塚」があり、これは浄瑠璃姫の死を悼んで建立されたものである。浄瑠璃姫伝説が時代と共に成長していく中で、始めは口承の伝説上の人物でしかなかった浄瑠璃姫は、後々付け加えられた「死ぬ」という結末でその存在を「塚」という形で現実世界に生み出したのだと考えられはしないだろうか。矢矧に塚ができることで浄瑠璃姫はますます矢矧に土着し、その存在は矢矧の人々にとって大変身近に感じるものだったに違いない。 &lt;br /&gt;
そして、この塚は何度も言うように浄瑠璃姫の非業の死を悼んで建立されたものであり、それは浄瑠璃姫の死を連想させるものである。そのため、広重はこの絵に、浄瑠璃姫が今まさに牛若丸を追って家を出ようとするシーン、つまり、その先にある彼女の死を暗示するような場面を描いたのだと私は考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
③岡崎と蒲原の関係&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、この東海道五十三對で岡崎と同じく『浄瑠璃姫伝説』を題材にしている蒲原の浮世絵に注目したい。蒲原では、前述の通り、翻刻で吹上浜で死んだ浄瑠璃姫について触れており、絵の中心となる読み物をしている女性は、浄瑠璃姫本人ではないが、「浄瑠璃姫にやつされた女性」だと言える。東海道五十三對には、作者は違えど浄瑠璃姫が二人いるということになる。&lt;br /&gt;
そして、この岡崎と蒲原の二つの絵を東海道五十三次の駅宿順に並べてみると、岡崎が左側、蒲原が右側となり、ちょうど岡崎の浄瑠璃姫が蒲原の方を向き、蒲原の浄瑠璃姫は岡崎の方を向くようになって、心なしか視線も絡んでいるように見える。このことから私は、この岡崎の浄瑠璃姫は、蒲原の浄瑠璃姫にやつされた女性の方を向くことで自分の死を見詰めているのではないかと考えた。岡崎の浄瑠璃姫は今まさにその場を離れて蒲原に向かおうとするシーンで描かれているし、実際の蒲原の方向を向かれせることでより彼女の死に臨場感を与えられはしないだろうか。岡崎と蒲原が向かい合うことによって、東海道五十三對の中で『浄瑠璃姫伝説』はとても強い存在感を持ち、この浮世絵は面白みを増したと私は考える。浮世絵から読み取れる江戸時代の伝説を知る面白さの他に、東海道五十三對というシリーズ物の絵の構成自体の面白さも、この作品の中には確かに存在していると言えるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
参考文献・ＨＰ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・海音寺潮五郎ほか『書物の王国⑳　義経』、株式会社国書刊行会、2000&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典23　愛知県』、角川書店、1989&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・原田幹『東海道名所図会』、人物往来社、昭42&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小野一之ほか『十物伝承事典　古代・中世編』、東京堂出版、2004&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・芳賀登ほか『日本女性人名辞典』、（株）日本図書センター、1998&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・磯沼重治「菅江真澄の伝承文芸への関心－三河国岡崎および奥羽の義経・浄瑠璃姫伝承を中心に－」『国学院雑誌　第九十九巻　第十一号』、国学院大学、株式会社ディグ、平成１０&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・近松全集刊行会『近松全集第六巻』、岩波書店、1987&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・島津忠雄校注『宋長手記』、岩波書店、昭和50&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・島津久基『義経伝説と文学』http://www.st.rim.or.jp/~success/simazu_yositune_index.html&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岡崎市観光協会web site　http://www.city.okazaki.aichi.jp/kankokyokai/recommend/menu04.htm#top&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
			&lt;/div&gt;</summary>
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