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	<title>005-0406 - 版の履歴</title>
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		<title>2025年5月7日 (水) 00:00にWikiSysopによる</title>
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		<updated>2025-05-07T00:00:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=総合=&lt;br /&gt;
東海道五十三對　日本橋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【翻刻】　手遊びもふり出す槍のにほんばし　なまこえりさえ見ゆる魚市　梅屋　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
題名：日本橋　　　　[[画像:005-0406.jpg|thumb]]　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
絵師：一勇斎国芳&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
版元：伊場屋仙三郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【題材】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『手遊び』　手に持って遊ぶこと。てなぐさみにすること。また、そのもの。てすさび。てなぐさみ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『なまこえり』合羽の仕立に用いる襟当たりのやわらかい、まるく細い海鼠の形をした襟。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『魚市』　魚類、塩合物などを売買する市。うおいちば。うおのいち。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【日本橋】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本橋川]]にかかる橋。中央通が通り、中央区日本橋１町目と日本橋室町１丁目を結ぶ。慶長８年、徳川家康が江戸城東側の海岸地帯を埋め立てて町割りを行った際に創架。この日本橋が五街道の起点となった。江戸期には橋畔に橋番人の番小屋があり、また南詰高札場と罪人の晒場があった。北側には東の江戸橋との間に魚市場が並び、[[日本橋魚河岸]]と称されてにぎわった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【考察】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この絵を見たとき、背景に富士山があり、江戸と思われる町並みがある。絵の左には橋があり、これは日本橋だと考えられる。よって、後ろの川は[[日本橋川]]であるであろう。&lt;br /&gt;
この女性が人形を手に持っている姿は、本文の「手遊び」の手に持って遊ぶことを表している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「なまこえりさえ」というなまこえりとは、絵の右の女性が手で自分の着物の襟を触っており、なまこえりの意味からしても、この女性の仕草通りだと言えるのかと思いましたがしかし、この女性の襟はなまこえりほど厚みがない。&lt;br /&gt;
「魚市」とは、その名の通り[[魚市場]]のことであり、現在でいう築地市場のイメージとした市場ではないだろうか。埋め立てられて移動し、今の築地市場の場所になったのだろう。先ほど「日本橋」の説明で述べた通り、日本橋の北側には東の江戸橋との間に魚市場が並んでいたと言われており、この作品の「魚市」のことだと考えられる。しかし、魚市らしきものがこの絵には全く描かれていない。私は、富士山の位置、江戸城の位置からこの絵の女性二人が立っている位置、を考えたときにこの右の女性の目線の先に魚市が見えるのではないかと考える。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　続いて、「なまこえりさえ　見ゆる　魚市」という部分に気になる点がある。この「なまこ」と「魚市」は掛詞になっているのではないだろうか。　また、「ふりだす」と「魚市」も掛詞になっていると考える。「ふりだす振って中から出すという意味だけでなく、市でせりの手を振って値をつけるという意味もある。当時、日本橋は魚市として栄えていた。そのイメージを導き出す意味もこの言葉に込められていると考える。先ほど述べたように、歌には「見ゆる魚市」とあるが絵には魚市らしきものがない。しかし、絵にはなくても絵では伝えなくても「なまこ」や「ふりだす」という言葉から日本橋の中心は「魚市」であったということを伝えようとしたのではないだろうかと考えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　本文の「ふり出す槍」とはこの絵の、女性が手に持っている人形が持っている長い槍のことではないだろうか。この槍は、毛槍と呼ぶものだろう。毛槍とは、先端のさやを鳥の羽毛でかざった槍で、[[大名行列]]の先頭などで[[槍持ち]]が振るもののことだ。この作品以外の日本橋の絵にも毛槍を持った人物がいくつも描かれている。&lt;br /&gt;
　右の浮世絵は広重の「東海道五十三次」「日本橋」「朝之景」という作品だが、橋の上の男性男二人が二人と毛槍を持っている。これと同じような毛槍を、作品の中の人形も持っていると考える。[[画像:061.jpg|thumb]]　&lt;br /&gt;
　他の「日本橋」を描いた浮世絵を見てみると、国芳が描いた浮世絵の女性のような身形の整ったような女性が描かれている絵はあまりない。どれも商人のような男性ばかりが描かれている。そこで私は担当作品である国芳のこの絵の女性が、毛槍を持っている町人のような人形を玩んでいるような様子から、高い身分の女性を表現したかったのではないだろうかと考えた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　では次に、東海道五十三次の宿場設置について考える。江戸開府から、ほぼ百年を経過した元禄一〇年（一六九七）、浅草阿部川町（現台東区元浅草)の名主高松喜兵衛ら五人の浅草商人が、甲州街道の江戸～高井戸間も宿場を開設したいと幕府に願い出た。当時、五街道の最初の宿場は、東海道は品川宿、中山道は板橋宿、日光（奥州）街道は千住宿、甲州街道は高井戸宿であった。品川・板橋・千住宿は江戸から二里の距離にあったが、高井戸間のみ、江戸から四里以上の距離であった。そのため、江戸日本橋～高井戸間の伝馬役を課せられた伝馬町と高井戸宿は、たいへん難儀していたという。&lt;br /&gt;
　そこで、江戸日本橋～高井戸間に宿場を新たに設け、その宿場が公用人馬を提供して荷物の運送をおこなえば、伝馬町と高井戸宿の負担は軽くなるのではないかという趣旨で、高松喜兵衛らが宿場の新設を願い出たのである。伝馬町にとっては半分の距離の新宿まで運べばすむことになる。高井戸においても同様である。&lt;br /&gt;
　幕府もこの願いを前向きに検討し、翌元禄十一年六月、喜兵衛らが金五六〇〇両を上納するという条件で、新宿の地への宿場新設を許可している。宿場予定地として、幕府は甲州街道に面する内藤家の中屋敷の一部や旗本屋敷などを取り上げ、喜兵衛らに与えた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　では、江戸の中心であり、東海道五十三次の起点でもある「日本橋」は、どのような場所とされていたのだろうか。&lt;br /&gt;
　江戸日本橋は、慶弔八年（一六〇三）に架けられ、東海道をはじめ全国に通じる街道の起点としたもので、日本の中心にあたる橋という意味を持ってこのように名づけられたという。&lt;br /&gt;
　江戸時代はこの橋畔「日本橋由来碑」「日本国道路元標碑」「魚市場記念碑」が建っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　江戸は、人が求道を開始するときの心境を象徴していたのだ。つまり、知らないことが多く、これから未知のものを探求していこうという状態である。このことは、京の都に比べて開発は遅れているが、将来の可能性に夢が膨らむ、当時の新都市としての江戸のイメージになっている。また、善知識歴訪の旅と江戸から京へ向かう東海道の旅を重ね合わせてみると、旅人は五十次目の水口までは悟りを開くことはできない。石部にいたって弥勒に会い、草津で文殊、大津で普賢、そして宇宙としての京へ到着する。こうして江戸は京の優位を認めているのである。&lt;br /&gt;
　では、この作品から見てとれるものはないだろうか。日本橋は人が見物に訪れるような名所としてよりは、江戸の富と権力を象徴する場所性に意味があるのではないだろうか。この浮世絵を見ると、[[擬宝珠]]が絵の左に大きく描かれているのが見てわかる。他の「日本橋」の浮世絵の作品にも必ず擬宝珠がついている。これは、格式の高さを示すものとされていた。&lt;br /&gt;
　もう二つの重要な点として、絵の右後方に描かれている[[「江戸城」]]と、左後方に描かれている[[「富士山」]]を挙げる。遠くに小さく描かれているだけだが、権力の中枢の醸し出す改まった雰囲気を日本橋に与えるにふさわしい存在だといえるのではないだろうか。&lt;br /&gt;
　また、日本橋で見落としてはいけないのが魚河岸である。この絵には魚河岸のようなものは描かれていないが、本文には魚市とかかれている。江戸の台所とされていたことを伝えたかったのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考文献・参考HP】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『東海道名所図会』　人物往来社　秋里籬島　一九六七年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『角川日本地名大辞典　13東京』　角川書店　一九七八年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『東海道』　有峰書店新社　八幡義生　一九八七年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『歌舞伎・浄瑠璃外題事典』　紀伊国屋書店　一九九一年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『幻の江戸百年』　筑摩書房　鈴木理生　一九九一年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『歌舞伎事典』　平凡社　一九八三年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『ビジュアルブック江戸東京２』　岩波書店　ヘンリー・スミス　一九九三年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『江戸のみちはアーケード』　青蛙房　鈴木理生　一九九七年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『江戸の広場』　東京大学出版会　吉田伸之・長島弘明・伊藤毅　二〇〇五年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『江戸の大普請』　講談社　タイモン・スクリーチ　二〇〇七年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日国オンライン http://nikkoku.jkn21.com/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
			&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>WikiSysop</name></author>
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