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	<title>燓噲門破り - 版の履歴</title>
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		<title>2025年5月7日 (水) 00:00にWikiSysopによる</title>
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		<updated>2025-05-07T00:00:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;はんかいもんやぶり&lt;br /&gt;
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=総合=&lt;br /&gt;
=解説=&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=関連項目=&lt;br /&gt;
[[朝比奈門破り]]、[[板額門破り]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=用例=&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=作中解説=&lt;br /&gt;
==『[[蒙求]]』（『鑑賞中国の古典　蒙求』1989年、角川書店）==&lt;br /&gt;
十二　燓噲闥を排し、辛毗裾を引く帝嘗て病み、人を見るを悪む。禁中に臥し、戸者に詔し、群臣を入ることを得る無からしむ。群臣絳・灌等、敢えて入る莫きこと十余日。①噲乃ち闥を排し直ちに入る。大臣之に随う。（…中略…）亜父范増、項荘をして剣を抜きて舞わしめ、帝を撃たんと欲す。項伯常に之を屏蔽す。②噲、事の急なるを聞き、盾を持し直ちに入り、怒ること甚し。&lt;br /&gt;
==『[[史記]]』（北京 : 中華書局 ､1975年）==&lt;br /&gt;
噲乃チ闥ヲ排シ直ニ入ル（樊酈滕灌列傳）噲即チ剣ヲ帯シ盾ヲ擁シテ軍門ニ入ル（項羽本紀）&lt;br /&gt;
==清刊本『[[西漢演義伝]]』巻二（『対訳中国歴史小説選集』３、1983年、ゆまに書房）==&lt;br /&gt;
賀仁秦鴻門設宴 燓噲至寨門 剣擁盾経入&lt;br /&gt;
==貞享５(1688)年頃成立「はんくはいいかづちどり」（『金平浄瑠璃正本集』第三、1969年、角川書店）==&lt;br /&gt;
所へくだんの万りき、くろがねのたてをわきばさみ。しよ人にすぐれ立出。さあらは某いくさはじめに、門をやぶりて、かた／＼にはたらかせんと。いふよりはやくはしりかゝつて、もつたるたてを身によこたへ。門のとびらにおしあて、ゑいや／＼とおすほどに。さしもしたゝか成くんもん、なんなくどうとおしやぶる。とびらに打れて百きあまり。ておひしにんぞいできける。&lt;br /&gt;
==元禄７(1694)年刊『[[通俗漢楚軍談]]』（『通俗漢楚軍談』1917年、有朋堂書店）==&lt;br /&gt;
鴻門会燓噲排闥 燓噲は鐵の盾を腋に挟み、剣を帯して陣門に至り、大音揚げて呼ばはりけるは、今日鴻門の会に相従う者、早朝より来て外にあれども、都べて一滴の酒を賜らず、我自ら魯公に見えて酒を賜らんとて進みければ、丁公、擁歯等、曲者なり、通すなとて、急に門を閉ぢけるを、燓噲事ともせず、力を出して門の闥を推すに、陣門地に倒れて、番の士卒壓し殺さるゝ者数を知らず。&lt;br /&gt;
==正徳５（1715）年刊『[[画林良材]]』==&lt;br /&gt;
燓噲は沛縣の人。はじめ家まづしくして。いぬを屠り世をわたれり。明の高祖の臣となりしより。勇名☆下にあらはれたり。楚の項羽の臣。范増がはかりことにて。鴻門の会にことをよせ。高祖をまねき。うちとらんとす。燓噲は門ぐわいにあり。事す。てに急なりしかば。張良はしり出はんくわいにかくとつぐる。はんくわいおどろき。いそぎ入らんとするに。うちより門をとぢしかば。もの／＼しやとちからを出し。ゑいといふてをしければ。門はくづれてうちたをれ。死するものかずをしらず。はんくわいは。中ぐんにかけ入り。剣にて油幕をからげ。項羽をにらみたつたりしに。まなじりさけて血をそゝぎ。かしらのかみは。さかしまに立あがれり。項羽これをみて。はんくわいに。酒をのましめるとあれば。はんくわいはかたしけなしとて。一斗をもるさかつきにて。引かけて一つのみ。いの子のかたを。剣をもつてきりくらふ。項羽打わらひ。さかんなまかななんぢ。又のぶべきかとゝふ。はんくわいきいて。われ死をたしさけず。なんぞ酒を辞せんといふ。項羽かさねて。たれがために死せんとおもへる。はんくわいそのとき。今日高祖。すでに謀せられんとす。さるによつて。われ死をおそれすしてこゝにきたれり。これ死をだも。さけざるところなりといへば。項羽大にかんじ。高祖はかゝるよき忠臣をもたれたり。まことに☆下の壮士なりといひて。大い酒に酔たをれ。前後もしらずね入りたり。そのひまに高祖は。はんくわいをあひぐして。しのびやかににげかへり給へり。張良が智。はんくわいが勇なかりせば。高祖いかでか。此とき害をのがれ給ふへき。事は史記に見みたり。&lt;br /&gt;
==元文５(1740)年『[[絵本鶯宿梅]]』　橘守国==    &lt;br /&gt;
噲いかつて。左にたてを脇ばさみ。右の手をさしのべ。力をきはめておしければ、御しもの大門みぢんにくだけたり。&lt;br /&gt;
==文政４～天保12（1821-1841）年『[[甲子夜話]]』第六十三==&lt;br /&gt;
世に鴻門会、燓噲の門破りと云伝へて、稗史は論なし。狩野家の輩も皆、盾を脇挟て大門を推毀る体を描く。是を見れば、噲は誠に大力量なる哉。去れども『史記』を見れば、大門を推し毀りしには非ず。画工の文を読誤りたるにや。&lt;br /&gt;
==文政３～天保８(1820-1837)年『[[海録]]』「燓噲排闥」==&lt;br /&gt;
今燓噲門やぶりとて、楯を持ちて門をやぶるの図を画く事は、もと蒙求より謬りしものなり、門を破りしは燓噲排闥とて、高祖の病める時に、戸者に詔て群臣を入ざらしむる故に、排レ闥（師古云、宮中小門）、直に入たりし也、鴻門の会に、事急なりと聞て楯を持て入たるにて、これは野陣なれば、幕など張れる位の事なるべし、この二條を蒙求に連ねいへるをもて、世に訛り伝へしなり、かゝる事世にはいと多かるものぞ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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[[Category:画題|はんかいもんやぶり]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
			&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>WikiSysop</name></author>
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