娘道成寺(むすめどうじょうじ)

 宝暦3年(1753)2月中村座初演。本名題「京鹿子娘道成寺(きょうがのこ)」。藤本斗文作、杵屋作十郎、弥三郎作曲の長唄舞踊。舞踊の名手初代中村富十郎によって演じられた。僧安珍に恋をした清姫が、安珍を追いかけて道成寺までやって来、鐘の中に隠れた安珍を蛇体となって鐘ごと溶かし殺したという伝説をその背景とする。謡曲の「道成寺」を始め、歌舞伎においても「傾城道成寺」、「百千鳥娘道成寺(ももちどり)」など、安珍清姫説話を舞台化した作品は多かったが、それらを集大成して成立したものである。
《あらすじ》道成寺で鐘供養が行われている日に、白拍子花子という女が鐘を拝みにやって来る。この寺は女人禁制となっており、僧達は追い返そうとするが、舞を舞うのを条件に入門を許される。女は舞を舞いながら鐘へと近づき、ついに鐘の中に飛び込んでしまう。鐘は大音響をあげて地へ落ち、僧たちが鐘を引き上げてみると、女は実は清姫の霊で、蛇体となって現れる。幕切れに、いわゆる「押戻し」としての大館左馬五郎が現れ、清姫の霊を屈服させる演出もある。

《見どころ》バラエティに富んだ踊りや、引き抜きによって変化する衣装の華麗さがみどころ。烏帽子をつけて白拍子姿で演じられる中啓の舞、乱拍子の舞、鞠つきを舞踊化した鞠唄、二つ笠を両手に持ち、振り出すと三段に分かれる振り出し笠を用いる笠の踊、手拭いを用いて「恋の手習い」のクドキを踊る手拭の踊、羯鼓を用いる羯鼓の踊、鈴太鼓を用いる鈴太鼓の踊などが次から次へと演じられていく。枝垂れ桜の模様の衣装が、緋縮緬から、浅黄色、鴇色、藤色などへと変化する。

変化舞踊(へんげぶよう)

 いくつかの舞踊を組み合わせて、ひとつの外題のもとに演じられるので、踊り手は通常一人で様々な役柄を踊り分ける。踊りの単位により、何回も衣装を変えることになり、物が化けるという妖怪変化の性質になぞらえて、変化物と呼ばれている。
 古くは、元禄10年(1698)11月京都萬太夫座で水木辰之助が演じた「七化け」が最初と言われ、江戸でも正徳元年(1711)11月森田座の榊山助五郎に七変化の記録がある。宝暦期には、初代中村粂三郎や初代中村富十郎、天明〜寛政期(1781-1800)までは、三代目瀬川菊之丞や四代目岩井半四郎ら女方による変化舞踊が行なわれていた。文化期(1805-1817)に入ると、立役(男役)の踊り手によって大流行を見せ、文政・天保期(1818-1843)までは全盛期で、三代目坂東三津五郎、三代目中村歌右衛門、二代目関三十郎などの役者が活躍した。変化する数も三変化から十二変化にまで及ぶものもあり、多種多様に発展した。現在は、それぞれ小舞踊として個別に演じられており、日本舞踊のレパートリーを豊かにした点で、歴史的にきわめて意味がある。
演じられる役柄は、美男・美女・老女・鳶の者や物売りなど様々な職業の人々、神仏・動物・妖怪変化など多岐にわたっている。