いわゆる草双紙と呼ばれる最初の形態が赤本である。赤本は江戸で出版された幼児向け絵本。後、赤本の表紙の色が変わり、黒本・青本と呼ばれるようになった。
 赤本・黒本・青本と展開した草双紙の、黒本・青本のあとをうけた大人向けの絵画文学が黄表紙である。安永4年の恋川春町作『金々先生栄花夢』から文化3年まで江戸で出版された。黄表紙の名称は、表紙が萌黄色だったことによる。黄表紙の最盛期は安永・天明期で、赤本や青本といったそれまでの草双紙に比べ、知的で徹底したナンセンスな笑いを提示した遊戯文学であった。この時期の代表的な作者には、恋川春町や朋誠堂喜三二がいる。
 その後、寛政の改革によって武家作者が一線から退き、かわって山東京伝や曲亭馬琴といった町人作者が活躍することになる。改革は、黄表紙の作風にも影響を与え、教訓的作品や伝奇的な敵討ちものが流行するようになり、次代の合巻へとつながってゆく。

赤本

016 [獣芸尽]    立命館大学図書館西園寺文庫蔵 SB913.57/J92

@中本 1巻1冊 赤本 A18.5×13.0 B未詳 C未詳 D享保14年(1729)以降ヵ 
E本書はこれまで『日本小説年表』等にも書名が記されず、その存在を知られていなかった赤本である。象・熊・虎・鹿・猿などの芸づくしの内容をもつ。冒頭〜四丁表までは象の見世物を中心に描いており、享保13年中に渡来し、享保14年5月に将軍吉宗に献上された象を踏まえて描かれたものかとみられる。

青本

017 二人義経堀川合戦     hay03-0147

@中本 3巻3冊 青本 A17.5×12.9 B米山鼎峨作 鳥居清経画 C富田屋ヵ D明和3年(1766) 
E二人義経の趣向をとり、内容には浄瑠璃「義経千本桜」から採り入れられた部分も多い。短冊の筆跡を頼りに敵の人物を割り出す趣向がみられるが、これは明和元年11月市村座上演「若木花須磨初雪」の趣向を採り入れたものかとも考えられる。

018 岩神乳守/双面〓      hay03-0140

@中本 3巻3冊 青本 A18.3×12.9 B未詳 C鱗形屋孫兵衛 D明和6年(1769) 
E頼光四天王の酒呑童子退治を題材とした作。林コレクション本は題簽の保存状態も良好。青色題簽・赤色絵題簽という形式は、草双紙の老舗、版元鱗形屋の青本のトレードマークともなっていたものである。

黄表紙

019 恋娘昔八丈          hay03-0656

@中本 2巻2冊 黄表紙 A18.3×13.0 B鳥居清経画 C西村屋与八 D安永5年(1776)
E安永5年2月中村座「恋娘昔八丈」のダイジェスト本で、挿絵の余白には上演時の太夫名を記し、中村仲蔵の当込みもある。今回展示したものは、墨書・破れ等も多く、保存状態は良好とはいえないが、摺りの状態は比較的早いものかとみられる。

020 桃太郎再駈   hay03-0119

@中本 2巻2冊 黄表紙 A17.6×12.5 B朋誠堂喜三二作 恋川春町画 C鱗形屋孫兵衛 D天明4年(1784) 
E本書はこれまで上巻の所在が知られておらず、その発見が待たれていた作品である。上巻部分では、桃太郎が鬼ヶ島から持ち帰った宝で家が裕福になったため、養い親の爺婆がおごって贅沢をつくすようになり、その上宝物のかくれ笠かくれ簑を見世物にしようとしたため、桃太郎が細工師とんだや霊蔵に贋の宝を作らせて両親を諫めるという内容、その後桃太郎が霊蔵の勧めで「鬼住む里」=遊廓へと繰り出す、という内容が描かれている。今回展示した部分はきび団子を作る場面であるが、これも遊廓での配りものであるゆえ、中に一分金を入れた
金味団子なのである。

021 [教訓指相撲]  立命館大学図書館西園寺文庫蔵 SB913.57/N28

@中本 3巻1冊 黄表紙 A17.7×12.8 B内新好作 鳥高斎永昌画 C未詳 D文化2年(1805) 
E本書の原題簽や袋は発見されておらず、原題は現在のところ未詳である。西園寺文庫のものには墨書で「教訓指相撲」とあるが、序文の記述などから「指相撲君曠業」か、とする説もある。黄表紙の中では、様々な事物の擬人化もしばしば行なわれ、本書の中では傾城の指の精と五体の精の大建引の場面が描かれている。

022 福寿海無量品玉       hay03-0084

@中本 3巻3冊 黄表紙 A17.4×12.5 B曲亭馬琴作 勝川春朗画 C蔦屋重三郎 D寛政6年(1794)
E馬琴作の黄表紙中初期の作例であり、寛政改革期の風潮も手伝って、仏教の教えを説いた教訓色の強い作となっている。林コレクション本は太田南畝旧蔵書で、裏表紙見返しには識語「文政戊寅小春九日於湯島切通星貨舗収得 去寛政甲寅二十五年 蜀山人[蜀山人印]」がある。

023 浪速秤華兄芬輪       hay03-0130

@中本 2巻2冊 黄表紙 A17.9×12.5 B曲亭馬琴作 百川子興画 C鶴屋喜右衛門 D寛政13年(1801) 
E黄表紙中に馬琴の肖像が描かれている作品。ここで描かれたのは馬琴の庵への客人来訪の場面で、画面右に描かれたのが馬琴、左下に描かれた女性は馬琴の妻お百である。この時期の馬琴の肖像には団子鼻(京伝の肖像にみられる、いわゆる「京伝鼻」)がつけられており、山東京伝の門弟であることを標榜した姿となっている。参考図は『南総里見八犬伝』に描かれた、馬琴晩年の肖像である。

024 [玉屋景物]     hay03-0013

@中本 2巻1冊 黄表紙 A19.8×14.1 B山東京伝作 歌川豊国画 C玉屋九兵衛 D文化2年(1805)E江戸本町二丁目角の紅問屋玉屋九兵衛店の景物本。袋・題簽等は確認されておらず、書名は未詳。中本としてはやや大きめの版型や、表紙に刷られた玉屋商標(参考図)も本書の特殊性を物語っている。京伝はこれ以前、寛政4年(1792)にも玉屋の景物本『女将門七人化粧』を執筆している。

025 黒手八丈狸金性水     hay03-0066

@中本 2巻2冊 黄表紙 A17.3×12.4 B桜川慈悲成作 歌川豊国画 C西村屋与八 D寛政10年(1798) E作者慈悲成は落語中興の祖とも称され、その黄表紙作品にも落し咄風の色彩は強い。林コレクション本は題簽の保存状態も比較的良好。「黄表紙」の名の由来ともなった黄色の表紙に多色刷題簽を付した形態は、文化初頭に合巻様式が生み出され定着するまでの30年余りに渡り、約2000種の刊行が確認されている。

026 のしの書初若井の水引/先開梅赤本   hay03-0114

@中本 3巻1冊 黄表紙 A16.2×12.1 B山東京伝作 北尾重政画 C蔦屋重三郎 D寛政5年(1793)
E袋入本。黄表紙は通常黄色表紙に絵題簽を貼り、全2〜3冊の形で販売されることが多いが、本書のように色刷りの袋をかけ、全1冊形態で刊行される豪華本もあった。このような袋入本は、通常の黄表紙の2〜4倍程の値段で売買されたものらしい。今回展示するものは、もともと袋であったものを表紙として改装してある。袋の絵は本書を刊行した版元蔦屋の看板をかたどったもの。

027 父讐宇津宮物語       hay03-0445

@中本 5巻5冊 黄表紙 A17.4×12.4 B曲亭馬琴作 十里亭校 歌川豊国画 C鶴屋喜右衛門 D寛政13年(1801) E黄表紙末期には伝奇的な敵討ものが流行し長編化の傾向をみせ、次代の「合巻」発生の端緒となった。今回展示したものは馬琴の手による敵討もの黄表紙である。本書は弘化4年(1847)に『父讐宇都宮譚』として再刻再板される(次掲)。

027 (参考) 父讐宇都宮譚     hay03-0444

@中本 2編8巻4冊 合巻 A17.4×11.7 B曲亭馬琴作 歌川芳虎画 C鶴屋喜右衛門 山田屋庄兵衛 D弘化4年(1847) E前掲の寛政13年(1801)刊『父讐宇津宮物語』の再刻再板。一丁表の口上には「這草紙は自今五十年の昔 寛政十三辛酉年 初て発兌したりしに 当時大に行はれ其板いく程なく磨滅せし(中略)前後二帙に分ち 再刻して茲春の新板と做こと然り」とある。ここに記されたように、売行きよく再摺再板が繰り返された作品の場合、版木が磨耗して使えなくなると、新たに版を彫り直して再版したのである。