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信田会稽夜討

新板 信田會稽夜討
       しだかいけいのようち

(1)松本小四郎、(4)市村竹之丞、(1)山中平九郎
(1)村山平右衛門、(1)勝山又五郎、(1)小川善五郎
(1)生島新五郎、(1)秋田彦四郎、(1)中村伝九郎
(1)滝井半四郎、(1)四野宮平八、(1)中島勘左衛門
(1)早川伝五郎、(1)大谷広右衛門、(1)富沢半三郎
(1)大谷広次、(1)水木菊三郎、(2)市川団十郎
(1)市川団蔵、(1)村山十平次、(1)仙石彦助

大々判丹絵
無款(鳥居派)
宝永8年(1711)頃

UP1303

解説

忠臣蔵事件が、恩赦による浅野家再興により一通りの決着をみたのが宝永七年(1710)九月であった。その前後で演劇や文芸の世界では、こぞってこの事件を取り上げたが、お膝元の江戸では、討入り直後の芝居が差し止められたこともあり、メディアが取り上げることに慎重であった。本作品は、上方での動向を睨みつつ、「信田」という集団敵討の物語の役者絵に「討入事件」を仮託して、宝永八年の正月頃に出版されたものであろう。江戸時代では、政治的な事件を直接表現できなかったため、他の世界に見立てて表現するのが常套手段であった。役者たちは、当時の江戸劇団に所属する大物ばかりである。なかでも吉良上野介を実悪の第一人者山中平九郎に見立てており、吉良を大悪人とする感覚が庶民の間で定着してしまっていたことがうかがわれる。なお、本作品は役者の構成メンバーからみて元禄十六年(1703)正月頃、討入り後すぐに出版された可能性も残るが、画風からみて、宝永8年とした。