壱岐韓国

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いきの からくに


画題

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解説

前賢故実

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近江朝で方面軍の将を勤めていた。皇弟(天武天皇)の将坂本財等が軍を平石野に宿営させてから高安城を得た。韓国は兵を率いて大津・丹比の両道から進んできた。財は高安城を出て衛我河を渡り、韓国の軍を迎え撃った。韓国は、河の西側で苦戦していたが、遂に財の軍を破った。財は敗れて懼坂の軍営に退いた。そのとき、来目塩籠が不破よりきた皇弟側の軍勢に密通して、皇弟側のために軍を集めていた。この計画を知った韓国は、塩籠を殺そうとした。塩籠が自殺したため、その計画も失敗に終わった。皇弟の将大伴吹負が軍を連れて當麻に至った。これを追ってきた韓国は、吹負と葦池のほとりで戦ったが、敗れた。その後、韓国は再び大阪で軍を起こした。

(『前賢故実』)