雁行乱知伏兵
がんこうのみだれふくへいをしる
画題
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解説
東洋画題綜覧
みなもとのよしいえ「源義家」の項を見よ。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)
同朝臣(源義家)、十二年の合戦の後、宇治殿へ参りて、戦の間の物語申しけるを、匡房卿よく/\聞きて、『器量はかしこき武者なれども猶軍の道をばしらぬ』と、独言にいはれけるを、義家の郎等聞きて、けやけきことをのたまふ人かなと、思ひたりけり、さる程に、江帥出でられけるに、やがて義家も出でけるに、郎等『かかる事こそのたまひつれ』と、語りければ、『定めて様あらむ』といひて、車に乗られける所へ、すゝみよりて会釈せられけり、やがて弟子になりて、それより常にまうでて、学問せられけり、その後、寛治の合戦の時、金沢の城をせめけるに、一列の雁飛びさりて、苅田の面におりむとしけるが、俄かにおどろきて、列をみだりて飛び帰りけるを、将軍あやしみて、くつばみをおさへて、先年江帥の教へ給へることあり、夫軍野に伏す時は、飛雁のつらをやぶる、この野に必ず敵伏したるべし、からめ手をまはすべきよし、下知せらるれば、手を別ちて三方をまく時、あんの如く、三百余騎をかくしおきたりけり、両陣乱れあひて、戦ふことかぎりなし、されども、かねてさとりぬる事なれば、将軍の軍勝に乗じて武衡が軍やぶれにけり、『江帥の一言なからましかば、あぶなからまし』とぞいはれける。 (古今著聞集巻九)
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)