鷺
さぎ
画題
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解説
東洋画題綜覧
(一)鷺は種類が極めて多く、その鷺科に属するものは大は鶴位から、小は鷭位まで世界到る処に分布され一百種に上る、日本に於て見られるもの丈けでも十数種に及ぶ、即ち普通に白鷺と呼ばれてゐる大鷺、中鷺、小鷺、小もも白、唐白鷺をはじめとして、紫鷺、へら鷺、黒へら鷺、青鷺、五位鷺、さゝ五位、嘴太五位、みぞ五位、葭五位、台湾みぞ五位、琉球葭五位、黒鷺、あま鷺、赤頭鷺、猩々鷺などである。
この中で最も多く芸術に現はれるのは白鷺の四種と五位鷺、青鷺位である、中でも小鷺が最も多い、此の種類は名の通り形が小さく日本内地で最も多く見られ、季節に関係なく眼に触れる、特長は頭部に二本の冠羽があり、簑毛の先が上に曲り、脚は黒いが趾は黄色、顔の眼の周囲が蒼白色である。
中鷺は小鷺よりやゝ大きく、嘴は夏の中は黄色であるが冬は黒色となり、頭に冠羽なく簔毛が尾より長くなり脚は皆黒色である、此の鷺は冬季は暖帯地方に去る、大鷺は中鷺より大きく、中鷺や小鷺に比し数が少く夏シベリア及北支那あたりで繁殖し冬日本に渡るが極めて稀である、冠毛なく脚は黒色である。唐白鷺は全身雪白色である点以上の鷺と同一だが頭には十五枚乃至二十枚の立派な冠毛があり簑毛は短かく、嘴は黄色、顔の裸出部は緑色、脚は黒く趾のみ緑色である、こもも白は中大鷺、風標公子、白漂鳥などと呼ばれ、印度から支那、馬来半島等に分布し、日本では千島の一部から北海道、本州九州にも見られる、千葉大巌寺は繁殖地として有名である五位鷺は漢名鵁鶄、窪子、灰窪子などの名もある。形態色彩等よく知られてゐるが、冬は南国に去る、幼鳥時代と成鳥とは著しく色彩を異にし、幼鳥の時は背から一面に褐色を呈し細かい斑点があり、背から雨覆には三角形した斑があるので星五位の名がある、長ずるに従つて色彩が変つて行き、成鳥は額から眉の周囲、頬から顋、咽喉の辺から腹へかけて白色である、頭から背、肩の羽あたりは緑色を帯びた美しい黒色、襟の辺から細い飾り羽が二本乃至三四本出てゐる、多いのは八本に達するものもある、主として夜間活動をする。青鷺は蒼鷺、老等、青荘などの異名がある、日本では到る処見られ朝鮮にも台湾にも棲息する。頭は白色、嘴は黄色、眼の脇から黒羽があつて、これは二枚の甚だ長い冠毛に連つてゐる、頸の前の方にも白色の飾羽がある、背から尾へかけては灰蒼色、腹及び胸には著しい黒色の線がある、あまり多く画には画かれぬが、昭和九年の院展に小林草悦筆『水禽図』に此の鳥があり、昭和十三年四月の読画会に西沢笛畝がこれを描いて出品してゐる。
(二)謡曲の題名、元清の作で、醍醐天皇神泉苑に御幸あつた時、鷺が勅を奉じて飛ばず、これを捕へた蔵人と共に五位を賜はるといふ筋で、『源平盛衰記』十七に出てゐる、元来五位鷺であるが、能では白鷺の装束である一節を引く。
いかに蔵人、あの洲崎の鷺ををりから面白うおぼしめされ候ふ間、取りて参らせよとの宣旨にて候ふ「宣旨畏つて承り候ふ、さりながら、かれは鳥類飛行の翅、いかゞはせんと休らへば、「よしやいづくも普天の下、率土の中は王地ぞと、「思ふ心を便りにて、次第々々に、「芦間の陰に、「ねらひより、ねらひよりて岩間の陰より取らんとすれば、此鷺驚き羽風を立てゝ、ばつとあがれば力なく、手を空しうしてあふぎつゝ走り行きて、汝よ聞け勅諚ぞや、勅諚ぞと呼ばはりかくれば、此鷺立ちかへつて東の方に飛び下り、羽を垂れ地に伏せば、いそぎ叡覧に入れ、実にかたじけなき王威のめぐみ、有難や頼もしやと皆人感じけり。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)