平治物語

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へいじものがたり


画題

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解説

画題辞典

不治物語は李治の乱を記るしたる戦記にして三巻あり、保元物語の姉妹篇ともいふべきものなり、平治の乱は、是より先、保元の乱に戦功ありし源義朝が、戦功少き平清盛に賞の劣れるに憤り、藤原信西の清盛に結托せるに對して、藤原信頼と結び、平治元年十二月清盛の不在に乗して兵を擧げたるものなり、後白河上皇及二条天皇を幽し奉り、信西を斬りて之を梟す、清盛報を得て京に歸り、子重盛、弟頼盛等をして之を討たしめ‐天皇を大波羅に迎ふ、内裏門内に於て兩軍激戦の後源軍遂に潰ゆ、信頼六条河原に斬られ、義朝尾張に走りて其地に殺され、子弟一族殆ど之を殲くさる、而して是より平家の一門榮逹の端を啓く、平治物語を画けるもの、古く住吉慶恩筆の絵巻世に知らる、雄健の筆致克く合戦の光景を活写す、鎌倉時代芸術の代表なり、今伝はるもの

三巻院御所夜討の巻(本多修理旧蔵現在米国ボストン博物館所蔵)

六波羅行幸の巻(雲州松平伯爵所蔵)

信西の巻(伊勢福島太夫旧蔵現岩崎男齢所蔵)

此外東京帝室博物館所蔵☆本に左の三巻あり

待賢門合戦一巻

六波羅合戦一巻

常盤合戦一巻

又御物、

俵屋宗達筆保元平治合戦八屏風

あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

鎌倉時代の軍記ものゝ一つで全三巻、源義朝が信頼と謀り二条天皇の平治二年清盛が熊野詣の不在を機とし俄かに兵を起し天皇上皇を幽し奉り信西を殺したが清盛が、急を聞いて帰り直ちに討伐に向ひこれを平げ信頼を誅し義朝は尾張に逃れて平忠致に殺された平治の乱の顛末を記したもので、平重盛源義平が大庭に於ける合戦の条は最も精彩がある、作者は葉室時長といひ、また源喩僧正ともいはれる、流布本の外に京師本、杉原本、鎌倉本、半井本、岡本本などがある。

これを絵巻にしたもの三巻あり、第一巻三条殿焼打はボストン美術館に流出し第二巻は帝室博物館に第三巻六波羅行幸は松平家のものであつたが今は御物となつてゐる、筆は住吉慶恩といひ詞書は藤原家隆卿の筆のみ伝へらる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)