張僧繇

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ちょうそうよう


画題

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解説

画題辞典

張僧繇は梁の画家なり、六朝三大家の一に数へらる、呉中の人、天監の初年武陵王国侍郎となり、丹青の誉を世に馳す、武帝の時、仏教盛に伽藍諸方に起る、僧繇之に壁画を画く、曽つて金陵安樂寺に白龍を画きて眼晴を点せず、龍去るを恐れてなりという、やがて之に点晴すれば果して風雨雷電起り、龍雲に乗り去ると伝へらる。

錢舜挙の筆あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那六朝梁の画家、呉の人、梁の天監年中右将軍呉興太守に至る、画を以て聞え、六朝の顧愷之、陸探微、及唐の呉道子と共に四大家と称せられ、その画はまた謝赫の六法を兼ね備へてゐるとて六朝第一人と称せらる、最も多く仏画を画き顧愷之、陸探微と先を争ふ、其山水画また特徴あり、没骨皺はその創始にかゝると云ふ、遺作非常に少く、宋の宣和頃、僅に数作あるのみであつたと。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)