馬
うま
画題
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解説
画題辞典
馬は牧に飼い家に畜われ、軍用に役せられ農耕に使われ又運輸に資す、随って古来最も重要視され有用視せられ、飼養の途も開かれて夙に我邦にても大宝令にも厩牧令さえありて帝室御料の御牧あり、左馬寮右馬寮の官衛まで置かる又近都牧あり国牧あり貢進のことさえ行わる。されば画馬のことも和漢共に早く開かれ、漢土にては曹弗興韓幹之を写すに秀てゝ名あり、我に伝わるものにても任月山の繋馬(浅野侯爵所蔵)などの名画あり、本朝にては平安朝に画馬の妙手として源信あり、鳥羽僧正は天閑十二馬を見て之を図し巨勢金岡が禁中画きし馬は夜な〳〵庭に出でて草を食むと伝えらるゝなど、画馬に関する逸話の伝わるものも少なからず。 九条兼実の子後京極摂政良経も馬を画くに長じ普賢寺基通の牛を画くに長ぜるに対比して世に京極殿の馬普賢寺殿の牛と言われなりとなり。 降つて雪舟山楽などの図あり、又足利の世より桃山江戸の初世にかけては厩馬の図画かゝるもの多し、馬を画きて神社仏閣に献ずることも盛に行わる、即ち絵馬なり。尚野馬、調馬、百馬等参照すべし。 (『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
馬は家畜中最も主要な動物で、牛に次いで古き歴史を有するものとせられ、農家にあつては耕作に欠くべからざるものである、或は速力の優れてゐる処から騎乗用とし、輓引力が強いので交通運搬用とせられ、軍用としても重き役目を有するの外、肉はまた食用に供せられ皮は各種の器具に用ひられてゐる、動物学上からは単蹄類の哺乳動物で、古代には五本の指を有したと称せられてゐるが、次第に進化して現今の馬の如く単一の趾のものとなつた、馬には種々の分類法があるが最も簡単な分類法としては、東洋馬と西洋馬と分けることが出来る、又馬には特別の呼び方がある、それは毛色から来てゐるもので、栗毛、青毛、鹿毛、河原毛、葦毛などがある、栗毛は全部赤褐色で濃淡があり、青毛は黒色、鹿毛は体毛褐色四肢の下部や尾鬘毛の黒いもの、月毛は黄白混合又は白色、河原毛は灰黄色、芦毛は幼時は黒く、年と共に白くなるもの、小さい図形の斑紋あるものは連銭芦毛と呼ばれてゐる。 馬は斯く人の生活に密接な関係を有するものなので従つて東西の芸術には種々の形式を以て現はれてゐる、東洋に於ても、古く『歴代名画記』には馬の名手として顧愷之、陸探微、董伯仁、展子虔等が挙げられ、更に隋の故懐、唐の韓幹、亦馬を以て聞え、宋に入つては李竜眠が居る、『君台観左右帳記』には、馬の画を善くするものとして、月山、耀卿、楊月礀、韓幹、李仲和、顕宗皇帝の名が挙げられてゐる、我が朝に於ても巨勢金岡が寛平法皇の御在所に画いた馬は、夜な夜な脱け出でて近辺の草を食ふこと。『古今著聞集』に名高く、又大内には渡殿にはね馬よせ馬の障子をたてたことなども見える、馬の名画に就いては、それ/"\画題によつて掲げて置いた。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲)