「亀遊」の版間の差分
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2017年10月24日 (火) 04:07時点における最新版
きゆう
画題
画像(Open)
解説
東洋画題綜覧
横浜岩亀楼の妓、本名はちゑ、江戸皆川町の医太田正庵の女、安政の地震に家道衰へ幼にして市に行商して父母に孝養す、終に吉原江戸町二丁目の甲子屋に売られ十五にして妓籍に入り、子の日と名乗り、容色を以て聞えた、後横浜の岩亀楼に移り亀遊と改めた、時に米人某亀遊を見て頻りにこれを聘せんとした、当時人心、極度に外人を厭ふ風があつたが、亀遊も更に応ずる気色が無い、楼主強ふること数次、亀遊佯つてこれを諾し、その日となるや遺書を認めて自刃した、その書の端に一首の和歌を認む、曰く
露をだに厭ふ大和の女郎花降るあめりかに袖は濡らさじ (名女伝)
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)