雲雀山のソースを表示
←
雲雀山
ナビゲーションに移動
検索に移動
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
この操作は、以下のグループに属する利用者のみが実行できます:
登録利用者
。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
ひばりやま ---- =画題= ===画像(Open)=== *[http://www.dh-jac.net/db/nishikie/results.php?enter=portal&f85=雲雀山&-format=resultsp.htm&-max=50&f9=*&f11=1 ARC浮世絵検索システム] *[http://ukiyo-e.org/search?q=雲雀山 Ukiyo-e.org] *[http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/search.aspx?searchText=雲雀山 大英博物館Collection_Online] *[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=雲雀山 東京国立博物館] *[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:雲雀山 文化遺産オンラインDB] *[https://www.google.co.jp/search?q=雲雀山 Google_Search] *[http://ci.nii.ac.jp/search?q=雲雀山 CiNii論文検索] *[http://ci.nii.ac.jp/books/search?advanced=false&l=ja&q=雲雀山 CiNii図書検索] ===解説=== ===東洋画題綜覧=== 雲雀山は紀伊国有田郡糸鹿山の東北の山で(一説には大和国宇陀郡日張山ともいふ)[[中将姫]]の継母のために隠れた所、謡曲雲雀山は即ち、このことを綴つたもの、元清の作で、シテが侍従、子方中将姫、男、従者、ワキ横佩右大臣、トモ従者、庭は大和となつてゐる。一節を引く。 「さるにても、馴れしまゝにていつしかに、「今は昔に奈良坂や、このて柏の二面、兎にも角にも故郷の、よそめになりて葛城や、高間の山の嶺つゞき、ここに紀の路の境なる、雲雀山に隠れ居て、霞の網にかゝり、目路もなき谷陰の、鵙の草ぐきならぬ身の、露に置かれ雨に打たれ、斯くても消えやらぬ、御身の果ぞいたはしき、「遠近の「たづきも知らぬ山中に、おぼつかなくも呼ぶ鳥の、雲雀山にや待ち給ふらん、いざや帰らん「やあ如何に御事は乳母の侍従にてはなきか、豊成をば見忘れてあるか、扨も我姫よしなき者の讒奏により、失ひしかども、科なき由を聞き後悔すれども叶はず、まことや御事がはからひとして此雲雀山の谷陰に、柴の庵を結び隠し置きたるとは聞きしかども、誠しからぬ所に、今御事を見てこそ扨はと思へ、姫は何処にあるぞ、包まず申し候へ、「是は仰せとも覚えぬものかな、人のかごとを御用ひありて、失ひ給ひし中将姫の、何しに此世にましますべき、如何に御尋ねありとても、「今は御身も夏草の、茂みに交じる姫百合の、知られぬ御身なり、何をか尋ね給ふらん、「実に/\それはさる事なれども、先非を悔ゆる父が心涙の色にも見ゆらん物を、はや有りどころを申すべし「まこと左様に思し召すか、「中々諸天氏の神も、正に照覧あるべきなり、さらば此方へ御出あれと、共処とも知らぬ雲雀山の、草木を分けて谷陰の栞を道に足引の、山ふところの空木に、草を結び草を敷きて、四鳥の塒に親と子の思はず帰り逢ひながら、互に見忘れて唯泣くのみの心かな。 三井万里筆 『雲雀山』 第十回文展出品 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) ちゅうじょうひめ「[[中将姫]]」の項を見よ。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) [[category:画題|ち]] [[category:画題|ひ]]
雲雀山
に戻る。
案内メニュー
個人用ツール
ログイン
名前空間
ページ
議論
日本語
表示
閲覧
ソースを閲覧
履歴表示
その他
検索
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWikiについてのヘルプ
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
特別ページ
ページ情報