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おうゆうぐん ---- =画題= ===画像(Open)=== *[http://www.dh-jac.net/db/nishikie/results.php?enter=portal&f85=王右軍&-format=resultsp.htm&-max=50&f9=*&f11=1 ARC浮世絵検索システム] *[http://ukiyo-e.org/search?q=王右軍 Ukiyo-e.org] *[http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/search.aspx?searchText=王右軍 大英博物館Collection_Online] *[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=王右軍 東京国立博物館] *[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:王右軍 文化遺産オンラインDB] *[https://www.google.co.jp/search?q=王右軍 Google_Search] *[http://ci.nii.ac.jp/search?q=王右軍 CiNii論文検索] *[http://ci.nii.ac.jp/books/search?advanced=false&l=ja&q=王右軍 CiNii図書検索] ===解説=== ===画題辞典=== 王右軍、諱は義之、字は逸少、東晋の時の人、右軍将軍會稽内史となれるを以て世に王右軍又王會稽と稱す、書道の聖といはる、生れて七歳にして已に書を善くし、十二歳にして前代筆説を其父の枕中に得て、竊に之を讀む、三十三歳、越州内史として、永和九年三月上已子弟と共に山陰の蘭亭に遊び、曲水流觴の遊を試みて蘭亭序を書す、辞翰冠絶といはる、三十七歳叉黄庭経を書す、逸少草隷八分飛白行共に之を善くし、備に諸體に通じ、一家の法を成し神功を得、實に古今に冠たる所なり、右軍曾つて山蕺に在り、一老姥あり,木りて六角の竹扇を賣らんとす、逸少之に各五字を書す、姥怒る色あり、逸少曰く、但王右軍書せりといへ、容易く賣らるべしと、姥去りて人に示すに、人争つて之を求む、後姥復易を持木りて再ぴ其書を求む、逸少笑つて答へずといふ、世に「王右軍書扇面」と題して此逸話を画くもの多し、川端玉雪氏所蔵に江宗晋の筆、近衛公爵家旧蔵に宗秀の筆あり、共に此図なり、続いては「愛鵞」の図多し、山陰の道士鵞を飼ふものあり、右軍之を見る、道士曰く、希くば道徳経を寫せ吾れ鵞を汝に與へんと、義之欣んで之を寫す、寫し了りて鵞を受け、籠を開きて放ち去るといふ故事を描けるなり、但馬応擧寺に円山応挙画あり、河邊某氏所蔵に渡辺崋山筆あり、埼玉富田氏所蔵に司馬江漢筆あり.近くは橋本雅邦好んで之を画く。 (『画題辞典』斎藤隆三) [[category:画題|わ]] ===東洋画題綜覧=== 王右軍、諱は羲之、字は逸少、東晋の生れで右軍将軍会稽内史となつたので王右軍又は[[王会稽]]と称した、古来書道の聖と称せらるゝ人、七歳にして既に書を善くし、十二歳の時、其父の所蔵する『前代筆説』を窃み読み悟る処少からず、二十三歳にして越州内史となり、永和九年三月子弟と共に山陰の蘭亭に遊び、曲水流觴の遊を試み、蘭亭序を書いた、三十七歳の時、黄庭経を書いたが共に斯道の精髄と称せらる、そして書体何れにも通じ一家の法をなして、遂に書道の聖と仰がるゝに至つた。 王右軍を画いた作 円山応挙筆 松本双軒庵旧蔵 宗秀筆 今井家旧蔵 橋本雅邦筆 所蔵者不明 田中頼璋筆 第四回文展出品 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) [[category:画題|お]]
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