A4-1 殺生石

「能楽百番」「殺生石」「玉藻前」
絵師:月岡耕漁 判型:大判錦絵
出版:大正13~15年(1924~1926)
所蔵:立命館大学ARC 作品番号:arcUP1431.

【解説】
 [能楽百番』は月岡耕漁作による木版の能楽画。
 月岡耕漁は明治時代から大正時代にかけて活躍した浮世絵師で、特に能版画家として知られる。浮世絵といえば歌舞伎役者を描くことが一般てきであったが耕漁は能などの舞台背景に取材した能楽画を描いている。右図の「殺生石」「玉藻前」は能の殺生石の玉藻前が九尾の狐本性を現す場面を描いており、黒く曇った空に狐の影があり玉藻前の正体を暗示している。
  『殺生石』あらすじ
 玄翁という高僧が下野国那須野原を通っているとき、ある石のまわりを飛ぶ鳥が落ちるのを見て不審がっていると、一人の女が近づいてきて、その石の名は殺生石ということと、その石の由来を語る。女によると
「昔、鳥羽上皇の時代に玉藻前という才色兼備な女性がおり上皇の寵愛を受けていたが、上皇が衰弱している原因が玉藻前にあると陰陽師の安部康成に見破られる。狐の化け物(九尾の狐)という正体を現した玉藻前は那須野原まで逃走する。上皇は三浦介と上総介を中心に討伐軍を組み玉藻前に挑むが玉藻前の妖力の前に敗れる。しかし犬追物で特訓を積み対策を練って再度攻撃を開始し玉藻前を討つことに成功する。討たれた玉藻前は近づく生物の命を奪う殺生石となり那須野原に置かれた。以来この場で生物を殺し続けている。」と語った。また、女は自分が玉藻前の化身だと語り消えさる。玄翁は仏法に導てやろうと法事を執り行うと石が割れて中から狐の精霊が現れ、「このような有難い仏法を授けられたからにはもはや悪事は致しません。」と約束し、石は方々に散っていった。