異体字の考え方
野口 隆
 
 漢字を含んだ古典文献を現代の活字体に翻刻する際、数多く現れる異体字をどのように扱うか、これはおよそ翻刻に携わる者ならば誰もが苦慮するところである。しかしながら第一期『歌舞伎評判記集成』ほど真摯かつ精力的にこの問題に取り組んだ例も珍しいのであって、月報に原道生氏の連載された「翻刻覚書」はその経緯の報告であるが、これはおそらく異体字を翻刻する際の問題点について論じた、これまでで最も詳しい文章である。漢字に対して厳密なこの姿勢は同『集成』の第二期にも継承され、既にして評判記研究者のうるわしい伝統と化している。当然このたびの第三期でも、その伝統に連なることが期待されるところであろう。
 一方第二期の翻刻方針には、第一期のそれから大きく転換した点もある。第一期が原則として正字体を用いたのに対し、「時代の動きに即した新しい漢字処理方式」としてほとんど全面的に常用漢字表の新字体の使用に踏み切ったことである。第三期は基本的にはこの第二期の方針を踏襲するものであるが、ただ「時代の動き」はいよいよ急であり、それに応じていくつか新たな方針を立てた。
 すなわち第三期は、本文の入力には全面的に電子機器を用い、また電子媒体のままでの閲覧も視野に入れている。そこで用いられている文字体系は日本工業規格(JIS)の情報交換用符号化漢字集合で、これに含まれないいわゆる外字は入力するにも閲覧するにもやや困難が生じることとなった。近年JISを凌駕する文字体系としてユニコード等も出現しているが、なお十分に普及しておらず採用するに至らない。そもそもいかなる広汎な文字体系であろうとも、自由自在に新字を創造する歌舞伎作者たちの用字に遺漏なく対応することは不可能であろう。ともあれ文字が規格にないからといってみだりに本文を改竄することは許されるはずがないが、しかしいわゆる外字の中には、規格内の通行字体と異体字関係にあって通行字体に置き換えても特に支障がないものも多いので、そのような場合はむしろ積極的に異体字認定を促進してよいと思われる。その他の場合を含めて、全般になるべく異体字を減らして新字体に収斂させるのが今第三期の方針の特徴と言える。
 異体字とは、形・音・義という漢字三要素のうち音および義が正字あるいは通行字体と共通し、残る字形のみが異なるものである。ところでそれらの要素は歴史的に変化することがあるから、異体字を認定するのにも様々な立脚点があり得る。まず漢字は中国で発生したものであり、中国での本来の字形や意義を知らねばならぬのは当然である。次に評判記という江戸時代に記された文献を読む場合、江戸時代の文字観念というものも知っておく必要がある。例えば当時「己」と「巳」は字形上ほとんど区別されず、文脈に応じて適宜読み分けられていたなどである。そしてもう一つ、現代の読者に供する以上は現代日本語の漢字表記法をも顧慮すべきである。最後の現代表記という立脚点は、前二者に比べて忘れられがちなのであるが、しかし私見では、むしろこれを最優先することがもっとも穏当な結果につながる場合が多い。後で現代の諸事情にしばしば言及するのはそのためである。
 異体字関係が認定された時、それらは字形は異なっても概念として同じ文字であると考えられる。だからこそ古典の翻刻においても一般に、異体字は正字や通行字体に置き換えてかまわないとされている。以下、異体字を処理するに当たっての原則と例外を具体的に述べるが、同じ文字かどうか、という段階と、同じ文字だとしてどちらが正字あるいは通行字体か、という段階とに分けると説明がしやすい。すなわち第一段階は、文字AとBとが果たして異体字関係にあるかどうかを判断する。両者が異体字関係にある場合、原則としていずれか一方に統一することになるが、それをここでは「A=B」のように記号「=」で表示する。AとBとが別字であった場合、または異体字であってもしかるべき理由がある場合には、一方に統一することをせず両者を用い分けるがそれを「両用」と称し、「A‖B」のように記号「‖」で表示する。第二段階は、AとBとが同字であった時に、そのどちらをここで採用するかを判断する。仮にAを採用するとするとBはAに置き換えることとなるが、それを「B→A」のように記号「→」で表示する。
 
第一段階 すなわち異体字関係の認定に関する原則は次の通りである。
(一)常用漢字表内の旧字体は新字体と同字とする。
   例 圍=囲 號=号 證=証 竊=窃 雙=双 體=体 臺=台 燈=灯
     辨・瓣・辯=弁 萬=万 豫=予 餘=余 龍=竜 など
   例外 岳‖嶽
 これらは異体字関係にあることがいわば公認されたものである。中には「臺/台」「豫/予」のように本来は字義が異なっていたものの組み合わせもあるが、それらも現代日本語の用法に従って同定する。なおこの原則について第二期では、「窃‖竊」「灯‖燈」「万‖萬」「竜‖龍」など多くの例外を設けていたが、今期はそれを極力減らした。唯一例外として残したのは「岳‖嶽」で、これは現在でも「岳」とは別に「嶽」が使用される事例が広く見受けられることによる。
(二)人名漢字の許容字体は表掲載字体と同字とする。
   例 亙=亘 彌=弥 祿=禄 穰=穣 
 人名用漢字別表(以下「人名漢字表」)は現在一般に用いられる漢字の集合という性質を有しているから、常用漢字表に準じて扱うことができよう。そこに掲載されているのはすべて新字体であるが、別に「許容字体」として旧字体が挙げられている場合があり、これも常用漢字表の旧字体に準じて扱ってよい。
 なお人名漢字表は五月雨式に増補されることがあり、また現在法務省が拡充を検討していると伝えられている。そのためこの原則については今後該当する事例が増え、再検討が必要となる可能性がある。
(三)いわゆる拡張新字体は正字体と同字とする。
   例 曽=曾 祢=禰 鴬=鶯 桧=檜 など
 「拡張新字体」とは、常用漢字表の新字体からの類推により表外字の字体を変更したものである。例えば、「盡」を「尽」としたのにともなって「儘」を「侭」としたものなどである。この新字体が正字体と同定されるべきものであることには疑問の余地がない。
(四)同音同義で字形の違いが僅かなものは互いに同字とする。
   例 冨=富 弍=弐 竒=奇 凉=涼 舍=舎 亰=京 など
 一般に異体字と認定する最低限の条件は、形・音・義という漢字三要素のうち音と義とが一致することであるが、更に形まで類似するものは迷うことなく異体字と認定できる。最も異体字らしい異体字と言えよう。
(五)動用字は互いに同字とする。
   例 峯=峰 枩=松 羣=群 畧=略 棊=棋 鄰=隣 朖=朗
     讎=讐 蘓=蘇 濶=闊 など
   なお 慙=慚 裡=裏 嶋=島 などもこれに準ずる。
   例外 娵‖娶 蟇‖蟆
 「動用字」とは例に挙げたように、漢字の構成要素の位置を部分的に交換したもので、これも迷わず異体字と認定できる。但し「娵‖娶」「蟇‖蟆」などは、それぞれ異なる用法で使われることが多いため例外とした。
(六)音または義が一致しないものは互いに別字とし両用する。
   例 寝(シン)‖寐(ビ) 背(ハイ)‖脊(セキ) 
     舟(シュウ)‖船(セン) 脅(おびやかす)‖脇(わき) など
 音および義の一致は異体字と認定する最低限の条件である。そのどちらかでも一致しなければ、それは異体字ではなく別字である。「寝/寐」「背/脊」などは字形が似ていることもあり、当時あまり区別されずに用いられていたようにも思われるが、音が異なる以上は両用しなければならない。
 但し次のような事例においてはこの原則を適用しない。例えば歌舞伎役者の名にもよく用いられる「升(ます)」はまた「舛」の形となることも多いが、「舛」は音センで「升」の音ショウと一致しない。しかしそもそも「舛(セン)」は義「そむく」で「ます」でなく、「ます」の場合は「升」の異体がたまたま「舛」と近似した形となったものであって音はあくまでショウである、と考えるべきであろう。また「北斎」「斎藤」などの「斎」が時に「斉」となることがある。一般に「斉」は音セイなので「斎」の音サイとは異なるが、明らかにサイと読む場合は、「斎」の「小」を略した異体がたまたま「斉」と一致した、と見るべきであろう。したがってこれらについては、見た目の形が「舛」「斉」であっても「升」「斎」と同定してよいものと考える。
(七)ともに常用漢字である場合、互いに別字とし両用する。
   例 個‖箇 准‖準 花‖華 娘‖嬢 など
(八)一方が常用漢字で他方が人名漢字である場合、互いに別字とし両用する。
   例 園‖苑 岩‖巌 修‖脩 総‖惣 襟‖衿 など 
 「准/準」などは字形の類似からも本来異体字関係にあることが明らかであり、他のものも江戸時代には相互に置換が可能な場合が多い。しかし常用漢字表あるいは人名漢字表にそれぞれ別個に登録されているということは、現代では別個の文字と認識されていることを意味するので、別字とする。
(九)同形の文字を意味用法によって処理し分ける場合がある。
   例 斗(ばかり)=計 など
 「計」の草書体は「斗」と酷似し、字形のみで両者を弁別することはほとんど不可能である。また「己/巳/已」などはそもそも当時の文字観念において字形を区別する意識に乏しい。しかしもちろんそれらは本来においても現代においても音や義の異なる別字であるので、同形を理由に同定するということはしない。
(十)特定の語彙に限って両用する場合がある。
   例 園‖薗(「宮薗」「薗八」など、その他は薗=園)
     刈‖苅(「苅萱」「和布苅」など)
     梅‖楳(「楳茂都」など) 蓑‖簑(「簑助」など) など
 「薗」は「園」の異体字と認められ、多くの場合は両者の間に特に用法の区別がない。しかし「宮薗節」など特定の語彙に限っては主に「薗」が用いられるという傾向があるので、そのような場合のみ「薗」を「園」と区別して両用することとする。
(十一)以上の原則がいずれも当てはまらないものについては、
    便宜的に『新字源』の立項状態に準拠し、次のようにする。
  (その一)それぞれ別個に親字として立項されている場合は互いに別字とする。
    例 陰‖蔭 咏‖詠 郭‖廓 奸‖姦 歎‖嘆 など
    例外 菴=庵 哥=歌 礒=磯 坐=座 詑=詫 扠=扨
  (その二)一方が異体字として親字の項目に従属している場合は親字と同字とする。
    例 烟=煙 渕=淵 恠=怪 舘=館 鴈=雁 皈=帰 襍=雑 
      帋=紙 餝=飾 壻・聟=婿 蹟・迹=跡 舩=船 邨=村 
      躰=体 舖・鋪=舗 脉=脈 埜=野 泪=涙 など
    例外 皃‖貌 盃‖杯 堺‖界 藁‖稿 臈‖臘 阪‖坂 協‖叶
 異体字の認定を困難にする理由の一つは「通用」という現象である。通用とは、二つの漢字が音は同じく意味も近似し、しばしば互いに交換され得るというものだが、ただ基本的にそれらは別の文字として認識されているので、異体字とは正反対の扱いをしなければならない。しかし両者を識別するための本質的な基準はないに等しいのである。そこでやむを得ず便宜的かつ実践的な方策として、現行の漢和辞典で別個に立項されているものは別字、同じ項にまとめられているものは異体字とし、問題のある場合のみ事務局の合議を経た上で例外処理とした。基準の漢和辞典としては、会員間によく流布している『新字源』を選んだ。本来これは個々の文字について検討するべきことであるが、しかし多種多様な異体字の様相を広く覆うためにはある程度応用性のある規定を立てる必要があったのである。
(十二)『新字源』には登載されていない字形であっても、古今の異体字字典等によって
    他の文字の異体字と認定できるものは認定する。
    例 寉=鶴 籏=旗 皷=鼓 桝=枡 艸=草 閇=閉 など
 江戸時代の文献に頻出する異体字の中には、日本独自に発達したと思しく漢和辞典に全く挙げられていないというものも多い。それらのものこそ積極的に異体字関係を調査し認定してゆきたいが、「古今の異体字字典等」の資料として第一期第二期に蓄積されたものをなお十分に活用できていない。今後の課題としたい。
 
第二段階 異体字関係にあるうちのいずれを採用するか。広く一般的に用いられている方を選ぶべく、具体的には次のような原則を立てた。
(十三)一方が常用漢字であれば、そちらを採用する。
   例 澤→沢 條→条 峯→峰 冨→富 竊→窃 燈→灯 萬→万 龍→竜 
     烟→煙 恠→怪 舘→館 襍→雑 帋→紙 餝→飾 壻・聟→婿 蹟・迹→跡
     舩→船 邨→村 躰→体 舖・鋪→舗 脉→脈 埜→野 泪→涙 など
 第二期の方針を踏襲したものであるが、そうでなくても新字体の採用にはほとんど異論がないだろう。なお第二期は、新字体を原則とはしたものの、
  芸→藝 台→臺 広→廣 団→團 伝→傳 
など多くの例外規定があった。例えば「芸→藝」はおそらく、「芸」はウンであってゲイでないという本来の意義に基づく措置であろうが、しかし現代日本語では大多数の場合「芸」は紛れもなくゲイであるから、「藝」を「芸」とすることには十分な正当性がある。したがって第三期では上記のものについても例外としない。
(十四)一方が人名漢字であれば、そちらを採用する。
   例 彌→弥 祿→禄 尓→爾 萠→萌 夘→卯 涌→湧
     堯→尭 槇→槙 遙→遥 煕熈→熙 など
 人名漢字表を常用漢字表に準じて扱うこと、(二)と同様である。
(十五)拡張新字体については、原則として新字体を採用する。
   例 曾→曽 禰→祢 蠅→蝿 竈→竃 檜→桧 儘→侭 鶯→鴬
     諫→諌 靱→靭 賤→賎 藪→薮 壺→壷 濤→涛 など
   例外 潅→灌 頚→頸 篭→籠
 いわゆる拡張新字体は前述の通り、正字体の異体字であってどちらかに統一するべきものであることには全く異論がない。しかしそれではどちらを採用するべきかという段になると、世上の議論は大きく二分されている。新聞やコンピューターの一般的なフォントなど組織的に新字体を採用している業界も存するのであるが、一方この中には「鴎」や「涜」などしばしば物議を醸す事例が含まれており、また近年正字体への志向が相対的に強まっていることもあって、拡張新字体は排斥されるべき嘘字であるという否定論も根強い。国文学の世界でも、常用漢字表内の文字は新字体を用いても表外の文字については正字体とするのが古典の翻刻における一般的な慣習であり、これに従うのであれば、拡張新字体はすべて常用漢字表に含まれないものであるから、いずれも正字を用いるべきであるということになる。現にそうしている翻刻の例は多い。
 しかし今回一々の文字について検討した結果、新字体の中で既に十分に社会に定着しているものが意外に多いという印象を得た。そこで敢えて新字体の採用を原則とし、それがなお定着していないものに限って例外的に正字体とすることにした。ついでながら、電子画面で閲覧するには画数の少ない簡略な字形の方が適していると言えよう。
 なおこの拡張新字体は電子入力に際して、やや注意が必要である。前述JISの文字体系において、「曾/曽」「鶯/鴬」「籠/篭」などは正字と新字に別のコードが当てられていて入力の際にどちらかを選択することが可能だが、「鴎」「葛」「祷」などは正字と新字が同じコードに「包摂」されていて、個別に一方を選択することができない。もしこれを電子的に配布したとすると、「鴎」の左部が「区」となるか「區」となるかは閲覧する端末の設定によって左右されてしまうのである。この種のものについては、入力の時点で採用字体を規定することにほとんど意味がない。
(十六)その他については(十一)と同様、便宜的に『新字源』の立項状態に準拠し、
    一方が異体字として親字に従属している場合、親字を採用する。
    例 渕→淵 濶→闊 鴈→雁 尅→剋 咒→呪 笋→筍 栖→棲 碪→砧 など
    例外 鵝→鵞 讎→讐 蘆→芦 蝨→虱 廚→厨 纏→纒 溯→遡 譁→嘩
 異体字関係にある二文字がともに常用漢字等でない際、どちらを採用するかを決めるのは必ずしも容易でない。正俗という価値判断が可能でしかも正字の方が通行していれば問題はないが、文字によってはむしろ俗字の方が広く用いられている場合もあるし、また両体ともに正字などという場合すらあるからである。これについても(十一)と同様、便宜的に『新字源』に依拠することとした。ただ『新字源』が漢和辞典の常として正字の立項を基本とするのに対して、俗字の方が現在通行していると目される事例が意外に多く、それが例外規定の多さにつながっている。
(十七)『新字源』に登載されていない字形が登載されている文字の異体字であった場合、
    登載されている文字を採用する。
    例 婬→淫 鼡→鼠 など
    例外 菟→莵
 前掲(十二)に該当するものは、異体字関係さえ認定できれば、採用する文字として辞典に項目のある方を選ぶのが順当であろう。但し「莵/菟」は「兔→兎」に連動させて「菟→莵」とした。
 
 最後に、以上の原則を適用した結果の一覧を附す。既に再検討の要がある例がかなりあるが、後日を期す。