文様の一つである「菱」は、植物の菱の実のかたちから名付けられたといわれています。分類するとしたら植物文様にもなるのですね。四辺の長さが等しいため、「幾何学文様」という印象が強くありました。
さて、菱文様は縄文土器にもみられる古くから親しまれてきた文様です。また、平安時代には公家装束の有職文様ともなり、衣服に加え、工芸作品にも数多く使われてきました。そのため、バリエーションも豊かでさまざまな名前が付けられた菱文様があります。
たとえば、こちらの型紙の背景に使用されているのは「松皮菱」です。菱を縦に三つ繋げたようなかたちをしています。
この型紙では、直線の太さや細さに変化をつけて松皮菱を構成しています。型紙を多く彫り抜いている箇所は白い松皮菱となり、彫り抜く箇所が少ない菱は型紙自体の焦げ茶がかった松皮菱になっています。また、菊の花も表現されていますが、花弁の曲線が細い線で見事に表現されていて、松皮菱の直線と菊の花の曲線が対照的です。こちらの型紙は、彫り抜いている箇所が多い上に細い線が多く使われているため、補強のための「糸入れ」が施されています。型紙のほかに細い糸がみえますが、それが糸入れされた絹糸です。
ほかにも「業平菱」と呼ばれる菱の文様があります。これは六歌仙の一人である在原業平(825-880)の装束を描く際によく使われたことから名付けられたといわれています。こちらの役者見立絵(歌舞伎役者に見立てて描かれた浮世絵のこと)も大小の菱文様を並べたような業平菱が使用されています。菱文様とひとくちに言っても、このほかにもさまざまなバリエーションがあります。
菱文様は、かたちをアレンジしてさまざまに利用されています。こちらの型紙は、菱を構成する線が「麻の葉」と呼ばれる縦横斜めの直線により構成される文様になっています。また、菱の内部は梅の花と「錐彫」による小孔を密集させたデザインが交互に配置されています。小孔は、錐彫と呼ばれる技法により彫刻されています。しかし、それ以外は「突彫」と呼ばれる細い線や曲線を彫刻することを得意とする技法によるものと思われ絵ます。現在の型彫師は、一つの技法を極めることが一般的になっているので、複数の技法が一枚の型紙でみられることは古い型紙ならではといえるでしょう。
最後にご紹介する型紙は、一見すると菱が四つに等分されたやや大きな柄の型紙に見えるかもしれません。しかし、目を凝らしてみると菱の内部は「青海波」と呼ばれる半円が同心円状に連なった文様によって構成されています。こちらの型紙は錐彫のみで構成されていて、小孔が曲線に加えて直線もつくりだしています。小孔を彫刻する位置が少しでもずれてしまうと菱も青海波も崩れてしまうので、高い技術力に加えて研ぎ澄まされた集中力が必要とされた型紙です。近づけば近づくほど、息すら止めてしまいそうです。
四本の直線によって構成させる菱。型紙という制限された枠の中で、整えられた直線と曲線をうまく織り交ぜ美しいデザインが作りだされています。
参考URL 立命館大学ARC所蔵寄託品 浮世絵データベース