セミナーで発表後、必ず概要を投稿してください。
投稿記事にコメントが付けられていきます。

2007年11月20日

第8回 GCOEセミナー(松葉涼子)

題目:「浮世絵にみる歌舞伎演出の絵画的表現-「画題」との関連に着目して-」
The clue of the image-Ukiyo-e as records of pictorial quality on stage

【報告要旨】

 本報告では、第一点に演劇研究の課題である「芝居そのものの中身」を問うことの必要性と、その取り組みの中で絵画資料が注目されてきているという研究状況を説明した。報告者はそれをふまえて絵画資料にみられる「類型的構図」に着目しており、演劇研究においてそれらを考察することの意義を述べた。

 二点目に、第一の分析を通して、芝居絵にみられる類型的構図というのは、絵画の中で「画題」といわれている概念と共通していることに触れ、歌舞伎の舞台に絵画的表現があるのではないかという疑問を提示した。その理由として、歌舞伎が絵画作品の主題を演出に取り入れている点、また、歌舞伎の演出が絵画表現に影響を与えている点について具体例をあげながら指摘した。

 最後に、浮世絵の主題をkeywordから検索できるシステムの構想を発表した。具体的な方法としては作品中に描かれている要素をKeyword化して、もののかたちからそこに描かれた主題を特定していくという方法である。また、そのようなデータベースをWeb上で公開することの利点と作業上の問題点について取り上げた。

【討論要旨】主に第三の「浮世絵画題Keyword検索システム」の理論と方法についての討論が中心となった。

<質問→解答>

※個別にいただいたものも含む。

※解答については現段階でのまとめであり、その場で答えた内容を補足している。

①「画題」「系統」というような言葉の意味について、どのようなことを分類したいのか、どのような概念をもっているのかということが判然としていない。(八村先生)

→指摘されたことは、発表者にとっても大きな課題であると認識している。ただ、目的とそれによる利点ははっきりとしているが、実際の作業がまだ進んでいない。作業に取り組みながら、実例をもとに、そこにある現象をどのような言葉で定義づけるのが妥当であるのかを考えていきたい。

②落款についてはどのような意識を持っているのか。(吉村先生)

→落款の形状が絵師の作画時期を特定する手がかりになる、というところに興味がある。ただ今回の取り組みとは、共通しない事項であると考えている。

③イコノロジーという立場ではどのように捉えているのか。(八村先生)

→本研究の目的は「みたまま」の形状をKeyword化していくことにあって、図像学とは立場が異なる。

④Keyword設定について、一般性と専門性をわけるべきではないか。(當山先生)

→関連して、赤間亮先生から人が気が付かないKeywordを設定していくことに研究者としての意義があるというコメントをいただいた。このようなデータベースを構築する目的には、人文科学の緻密な考証に基づく、新たな主題の設定を盛り込んでいきたいという思惑もある。一般的ものからはじめて、そこから専門性が引き当てられるようなシステムを考えることができるのかどうか、今後の課題としたい。

⑤他の分野でも具体的な対象から、抽象的な概念へと結びつけるような取り組みは行われているが(Ex.シソーラス)、本データベースにおける人文科学的なオリジナリティはどこにあるのか。(當山先生、八村先生)

→形状のみで考えると、判断を誤る場合がある。単純に類似項目を引き当てることと、その中でどの主題を選ぶのが妥当であるのかという部分について人文科学的知識を反映させていかなければならないと考えている。また、④で解答した「新たな主題の設定」というところに独自性があるのではないかと思われる。

⑥狩野永徳画、許由・巣父の用例は、演劇との比較においては同時代性が薄い。(西川氏)

→指摘の通りである。単純に構図としての見やすさ、典型的な画題の紹介ということで選択したので、後に引用する際には注意したい。

⑦「東下り図」の袖の描写は「佐野の渡り図」とのダブルイメージなのではないか。(西川氏)

→「佐野の渡り図」とのイメージの重ね合わせという点については、以前別の研究発表で報告した。しかし、歌舞伎の場合は「業平舞」との関連が強いと考えている。その他、井手の玉川、邯鄲、道真等にみられる「袖をふりあげる動作」との共通点を考察し、個別の調査をすすめていきたい。

⑧発表者の思いつきで、作品をある特定の画題に結びつけてしまうことは見ている読者にとっては混乱する。きちんとした実証に基づくべき。(Ex.「東下り図」と「丹波与作」のダブルイメージ)(西川氏)

→まだきちんと実証されていない項目にかんしては、データベース上である特定の画題にむすびつける方法はとらない。むしろ曖昧な概念(この場合は「馬子」)で結びつけておいて、他に共通している作品をその項目にいれていく。そのようにして用例をふやしながら、両者における共通点、相違点を考えるてがかりにしたい。

発表の記録 

コメント(9)

當山日出夫 : 2007年11月21日 22:24

質疑のなかで、「史料編纂所の絵引(えびき)」ということばをつかいましたが、中には、御存知でなかった方もいらっしゃるかとおもいますので、補足的に、この点について記します。

東京大学史料編纂所のDBのなかに、「歴史絵引データベース」があります。

●東京大学史料編纂所
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

●歴史絵引
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w36_open.jsp

「キーワード検索」「シソーラス」と言ったとき、これを、イメージして発言しました。

このDB(絵引)自体が、まだ、データ不足ということもあって、なかなか、簡易検索では探せません。いわゆる「十二単」を探そうとおもっても、うまくいきませんでした。結局、詳細検索で「女房装束」と入力して、出すことができました。

ともあれ、DBとは、誰が何のために作り、そして、使うのか・・・たぶん、ARCの目指すものとも、松葉さんの御研究とも、ちがうかもしれません。そうであるにしても、この絵引DBの理念の説明の文章は、読む価値があります(と、私は思います。)

當山日出夫(とうやまひでお)

おまけの注
「十二単(じゅうにひとえ)」というのは、俗称。有職故実にかかわる衣紋道(えもんどう=この種の装束の着付けを専門にする)では、「女房装束(にょうぼうしょうぞく)」と言います。この着付けの実演を、大阪のある大学では、毎年、公開講座として行っています。私も何度か見ました。実物を見る・・・ということの価値を実感します。これについては、改めて別の機会に。

Nishikawa Yoshikazu : 2007年11月22日 17:11

⑧についてです。

ありゃりゃ、私、「思いつき」なんて言いました。だとしてら、ちょっと失言ですねえ・・・自戒を込めまして、再説しますと、

たとえば、Aという絵画(富士山を背景に若い「馬子」と彼がひく馬に乗った若い娘が描かれています)があって、その絵画については「東下り」の見立て図だということが通説として共有されているとします。この絵画について「東下り」というキーワードを付けることは問題がないと思います。

このAについて、ある研究者が絵画Aと類似した構図の「丹波与作」に取材したBという絵画を参照して、Aには「丹波与作」のイメージが重なっているという新しい「読み」を提示しました(人文学的な論証の手続きを踏んでのことです)。なるほどと思う研究者もいますし、反論を試みる研究者もいます。いずれにしても、この時点ではこの新しい「読み」は新説の段階で、通説として一般化されていません。

この場合、絵画Aについて「丹波与作」というキーワードをどう扱うのか? 付すのか、付さないのか、付すとしたら、研究動向に詳しくない人が絵画Aについて調べた時に通説「東下り」と新説「丹波与作」が同じ比重で見えてしまって、ある種の混乱を呼ばないか?と思い、このあたりのお考えを松葉さんにお尋ねした次第です。

それに対する松葉さんのお答えは、上記にある通りで、私の理解でもう一度言いますと、
十分に通説化・共有化していない「丹波与作」はキーワードとして採用しない。
が、A・Bの画面に共通して描かれる「馬子」を別にキーワードとして採用するので、「馬子」で検索した場合、両者が引っかかってくる(もちろん、「東下り」「丹波与作」の両者に関係ない絵画も多数検索されると思われますが)。
したがって、AとBの共通点に気づいた人には、絵画Aについて「東下り」と「丹波与作」のダブルイメージになっているという新しい「読み」への筋道を残すことになる。
通説化していない、共有されていない新しい「読み」についてはそのような方法でデータベースに反映していく(というか、気づいていないだけで、もともとある!?)。
ということになります。(松葉さん、これ、違う?)

赤間先生も発言されていたかと思いますが、人文学に関しては、新しい「読み」(質疑応答④では「人が気が付かないKeyword」と書かれています)を提示し、それを蓄積していくことが重要なわけで、単なる道具としてではなく、研究成果の発信としてデータベースを作り、運用していく際にこの新しい「読み」をどう反映させるのか、という匙加減、バランス感覚がけっこう重要なのかなと思った次第です。(長文失礼!)

※ちなみに絵画A、Bはそれぞれ配布資料の終わりから3番目のスライドに掲載のものに相当します。

Ryoko Matsuba : 2007年11月22日 20:51

>當山先生
>Nishikawaさん

ご意見ありがとうございました。段々と問題点が明確になってきたと思っております。

もうすでに通説となっているいわば「画題辞典」をWeb上で展開するには、「歴史絵引データベース」のように、あらかじめこちらで指定したキーワードを、読者が選択して検索できるシステムが使いやすいものになるかと思います。むろんそれだけでも大変な作業ですし、完成できれば紙媒体にはない利点があるかと思います。

ただ、この場合Nishikawaさんのいう「研究成果」の発信という意味合いもあります。また、今後そのような主題を発見していくために、今までになかったKeywordで関連づける(例えば質疑⑧のようなケース)ことも考えにありました。むしろそちらの面が報告者の研究の基盤になるものかと思います。そのあたり、もう少し消化しながら考えていきたいと思います。

當山日出夫 : 2007年11月22日 21:55

私の芸能史についての知識は、学生のころから、ぜんぜん進歩していませんので、今の、若い先端の研究者の方々からすれば、時代遅れ・・・であると、思います。要するに、折口信夫とか池田弥三郎とか(池田先生には、大学の1年の時に、『百人一首』の講義でならいました)、の段階です。

このような私から見てですが、「やつし」「みたて」「もどき」、などのことがらは、それが、〈『本物』ではない〉、ということが前提として、共有されるからだと考えます。まず、共通の知識というか、概念というか、をみんながもっていないと、なりたたない。

まず、『伊勢物語』東下り(第9段)のことを知っているからこそ、それを、素材としてつかい、様々に加工して、おもしろさを作り出すことができる。この場合、必ずしも、『伊勢物語』そのものを読んで知っている必要はありません。別の何かによって、ある程度の知識として知っていればよい。

たとえば、現代の、モノマネ芸。TVなるものを、ほとんど見ない私には、たまにTVを見て、「これはモノマネだな」ということは、なんとなくわかりますが、その「本人」を知らない場合、その面白さは、理解できないままです。

閑話休題(それはさておき)、
●松葉さんが、御発表のなかで、この絵は、「東下り」に依拠しているということを、御指摘になる。これは、松葉さんによる、新しい、発見として、研究としての価値があります。
●一方で、このような絵があるという指摘から、近世の人々(少なくとも、その絵を見るような人たち)にとっては、「東下り」が、暗黙の前提の知識としてあったのだな、と理解することも可能です。

私が、質疑のなかで、奈良絵本などとの関連性について、言及したのは、このような共通の認識(暗黙の前提)が、どのようにして形成されたのか、また、どの範囲の人々に共有されていたのか・・・ということが、今後の研究課題としてあるのでは、思っているからです。

このような暗黙の前提となっていた了解事項を、なんとかして、明示化したい、そのために、画像DBや、各種文学作品のテキストDBが、どう利用可能でああるのかを探っていくのが、DHのプロジェクトの方向の一つであろうと、考えるわけです。

當山日出夫(とうやまひでお)

おまけ
今年の春、娘(中学生)と家内をつれて飛騨高山に行ってきました(自動車で日帰り)。私にとって、飛騨高山というと「赤影」(横山光輝)なのですが、今の中学生に、こんなことはまったく通じません。まあ、誰か、忍者のイメージの形成、という研究でもしてくれれば、ありがたいのですが。

瀬戸です。

ご発表をずっとは聞けておりませんので、既に議論されているなら申し訳ありません。

断片的ながらお伺いするのと上記の議論の流れを勘案して質問します。

(1)イコノロジーの指摘に関連して、図証学(一般的には図像解釈学?)とは立場が異なるとありますが、例えば実在する(有名な)場所が背景に描かれている場合は、メタ情報としての対象となり、地理や空間情報学に対して貢献も可能かと思います。この点いかがお考えになりますか?

(2)浮世絵をKeyword化するに際し、主観性が入ってしまうことはある程度やむを得ない事とは思いますが、構築に際して「共通した基準の設定」や「収集の自動化」に対して何らかの項目や内容に関して設定可能と考えておられますか?

tos様;

ご意見ありがとうございます。

イコノロジーとは、描かれたものが宗教や、文化的背景などを象徴しているという前提の上で、その意味を考えるものだと理解しています。極端にいえば描かれた以上のものを読み取ることが必要かと思います。よって、みたままの表現をKeyword化してメタデータとする本論とは立場が異なるとしました。

 また、メタデータに地理情報が含まれるという場合についてです。
>実在する(有名な)場所が背景に描かれている場合

 もし、名所絵等を対象にされているのでしたら、これらの作品は題名があるもの、もしくは何がかいてあるかが理解しやすいものが大半かと思います。
 用例検索ということであれば、現在の浮世絵検索システムも充分活用できるかと存じます。
 
 役者絵などの舞台にでてくる地名(吉野山、金閣寺、南禅寺など)を対象にしているのでしたら、虚構の世界の事ですので、実際にある場所とは言い難いところがあります。
 本論には関係ないところですが、お芝居にでてくる地名を地理情報学として分析するという研究があるのであれば、興味深いところです。もちろんその場合は、浮世絵検索システムからは検索できない作品もあるかと思いますので、Keyword検索システムの便はあるかと思います。

 正直なところ、デジタルを用いることで、はじめからどの分野にも広く活用されることを、期待しているわけではありません。紙媒体ではできなかったことをデジタルを使って表現すると、どのような分析ができるか、というところに目的があります。
 結果的にそれらの情報が共有化することができればいいかとは思いますが、ある程度運用できる状態になったところで他分野への応用を考えるという方がこの場合は順にかなうような気がします。

(2)共通項目の設定に関連して。
 
 今回の発表の参考文献として一つ付け加えたいのですが、
『Pointers and Clues to The Subjects of Chinese & Japanese Art』(Will H, Edmunds,Art Media Resources, 1991)
では、Keyword検索の試みがあります。例えば、索引に「Willow(柳)」の項目がたててあります。その中に柳が描かれている絵について、何個か主題があげられています。その一つをあげると、

Besides a stream where a J. man(Japanese man) is wading with a girl on his back-Ohan and Choemon.

となっていて、読者は、お半長右衛門(レジュメ21枚目参照)の主題をそこに描かれている「柳」というKeywordから引き当てる、というシステムになっています。

※他の「柳」についてのSubjectは
And a frog below jumping up at a leaf, a J. noble watching:- Tofu Onono (小野道風)などがでています。

描かれたものを言語化するという作業になりますので、言葉の設定がもっとも大きな課題です。
ただし、「みたまま」の項目でしたら、上記の例のようにある程度共通認識のあるKeywordが設定できるのではないかと思っているところです。

當山先生:

順序が逆になってしまって申し訳ありません。

演劇においても古典の題材が原拠になる場合があります。これは演劇においての「やつし」といいかえてもいいかと思います。それらを考察することによって、近世的な古典享受のありかたなどが分かる場合もあるかと思います。

例えば、近世演劇では、筒井筒、武蔵野、芥川などが混合されて上演されることなどがあって、それらのイメージがしだいに重なってくる、というようなことがあります。詳細は論文に纏めているところですので、また後日お知らせします。ご意見ありがとうございました。

當山日出夫 : 2007年11月30日 21:44

江戸時代の絵画(浮世絵など)に描かれる、象徴的なものがいくつかあるはずです。そのひとつが、筑波山・・・であると、昔、学生のときにならった記憶があります。実際に見える、見えないとは関係なく、絵のなかに描き込む。

その後、学会で、筑波大学に行ったことは、ありますが・・・筑波山と言われても、どうも、ピンときません。

こういうのは、知識というよりも、生活感覚の問題かもしれないと、思います。立命館は京都の大学ですから、「洛中」という感覚が、わかるはずです。しかし、東京の人には、これはわかりません。

先日のカナダと日本の風景画についての講演のとき、赤間先生が、金閣寺と衣笠山の事例についてふれておいででした。

何が描いてあるか、見たままを、キーワードにする・・・これは、ある意味で簡単なことです。実は、そうではないとも、思いますが、また、別の議論になります。とりあえずキーワードがつけられて、検索可能になったとして、では、次に、そこから何を読み取るのか。

話しは飛躍しますが・・・写真家の入江泰吉は、奈良の二上山のふたつの峰のあいだに沈む夕日が撮影できるポイントを見つけて、写真を写しています。太陽の沈む位置が問題ですから、撮影のチャンスは、年に2回しかない。しかも、天候も大事。しかし、彼は、その作品を撮った。

写真ですから、確かに現実(リアリズム)。だが、単純なリアリズムではない、きわめてシンボリックな意味が、その写真にはある。金閣寺と衣笠山は、ある意味で、単純に物理的に不可能であるだけ・・・なのかもしれません。

今の我々は「写真」という、単純リアリズム(?)のツールを持っています。ですから、金閣寺と衣笠山について、現実にはどうか・・・という議論ができます。いや、できるようになってしまったと言った方が適切かもしれません。

どうも支離滅裂になりそうなので、このあたりで。

當山日出夫(とうやまひでお)

おまけ
写真の話しのついでに・・・緑川洋一という写真家がいます(もう、亡くなりましたが。)瀬戸内海の風景写真で有名です。しかし、その作品は、実は、フィルムの合成によって作った風景・・・今なら、フォトショップで簡単にできますが、です。デジタルカメラとフォトショップが、我々にもたらしたものは、写真のリアリズムとは何か、という、きわめて素朴な、しかし根源的な問いかけなのかもしれないと、思っています。

當山先生;

ご意見ありがとうございます。少し時間をおいて考えておりました。イコノロジーとの違いについて、うまく説明できていないことを痛感しました。大変難しいので支離滅裂な発言かもしれません。どうかご海容ください。

金閣寺と衣笠山の事例に関連して、

以前の「京都名所今昔展」でちょうど金閣寺の項目を担当させていただきました。
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/200511miyako/exhibition/kinkaku.html

そこでの解説で書かせていただいたように、広重の「京都名所之内」は『都名所図会』の構図を借用しています。同じくUP2569の貞信の図にも同じ構図がみられます。貞信のシリーズのところどころで、広重の作品との類似がみられるので、上記の「京都名所之内」の構図を借用したと考えて間違いないでしょう。

その絵が実景と同じか否かではなく、どのような表現を継承してこの図像ができあがっていったか、そのプロセスに興味があります。また、それを考えることで當山先生に以前ご指摘いただいたその当時の人々にとっての「共有財産としての図像」にたどりつけるのではないかと思います。

その絵が何を象徴しているか、どのような文化的背景に基づいているか、その点については、この場合にも十分に考えられうる点です。ただ、解釈であってはいけないという思いがあります。浮世絵は、たくさんの事例や、文献に基づけば、絵師の意図を実証できるように描かれているのではないかと思います。

我々が実際に浮世絵を考証するときにも、役者の似顔、役名などの文字情報、着物の柄、絵師の落款など、それぞれの情報を集積して何年の何が描かれていることを実証していきます。
そのように、描かれたものを客観的に記号としてみたときに、それらの情報がどのように集まれば、何の主題を形成するのか、といった考え方に基づいてキーワード設定をしていくことになります。それは、対象に対して主観的な解釈をせず、みたままの記号として読み取るということになりますので、イコノロジーとは立場が違うとしました。

ただ、この方法論でいいのかどうか考えているところでもありますので、まず作業方針を固めていきたいと思っています。

コメントする








  • GCOEセミナーディスカッション

  • 最近のエントリー

  • アーカイブ


新拠点セミナー
GCOEセミナーディスカッション
GCOE運営活動と記録
世界と日本・DH研究の動向
E-journal
21世紀COE成果サイト
研究班紹介動画
リンク集