竹本座

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たけもとざ


歌舞伎

人形浄瑠璃劇場。初世竹本義太夫が興行師の竹屋庄兵衛の出資により、三味線の竹沢権右衛門、人形遣いの吉田三郎兵衛、辰松八郎兵衛らを一座に加えて貞享元年(1684)二月、大阪道頓堀の西に開場した。 「曾根崎心中」で大当たりをとったこともあるが、義太夫の経営は思わしくなく、のち竹田出雲座本となって近松門左衛門を座附作者に迎え、義太夫の没後は弟子の政太夫がうけついで、正徳五年に「国性爺合戦」が上演された時は、十七カ月も連続して興行され、当時豊竹座に対して西の芝居といわれ、両座は鎬をけずった。「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」などの名作も、竹木座で発表されたもので、享保から寛延(1710-50)にかけて全盛時代であった。やがて江戸中期には衰え、明和九年(1772)十二月閉座された。